クリスチャンは「結婚のためのリスト作り」をして「待つ」べきですか

2018年11月4日日曜日

クリスチャンの結婚

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 私の知っている教会群では、結婚は牧師の許可制で、信徒はひたすら「待つもの」と教えられていました。

 ある女性信徒の言葉です。
「結婚は神様からの贈り物ですから」

 結婚は神様が用意して導いてくれるものだから、自分としては信じて待つしかない、というような意味ですね。なんて控え目な考え方だろう、と私は正直思いました。自分の気持ちや意志はないのだろうか、と。

 もちろん恋愛も結婚も、しようと思ってできるものではありません。したくなくてもする羽目になることもあるでしょう。相手があってのことですから、自分の意思だけで完結できるものではありません。
 でもある程度自分の意思を働かせないと、進むものも進まないのではないかな、と私は思ったわけです。

 もちろん自分の意思を働かせたところで、(その教会群では)牧師に阻まれることが多々ありましたが。もしかしたらそういう葛藤が、結果的に「待つしかない」という心境に至らしめたのかもしれません。
 でもそうやって待ったまま四十代、五十代になる人が少なくありませんでしたから、やはりそのやり方は考えものではないでしょうか。

☆ ☆ ☆

 結婚を「待つ」方法の一つとして、「結婚のためのリスト作り」というのが教えられていました。

「結婚相手に望む条件を幾つでも書き上げて、そのリストを片手に、十年でも二十年でも祈り続けなさい。神様が良しとされた時、きっと与えられるから」
 というわけです。

 この「結婚のためのリスト作り」は、一時期流行ったように記憶しています(今もあるのでしょうか)。
 結婚相手に望む特徴を、いくつでも思いつく限りリストアップしていくのです。項目が多ければ多いほど良い、と言われていました。それだけ詳細にイメージしておけば、実際に出会ったときに神様からのものかどうか判別できるから(?)、だそうです。

 ある男性信徒はこのリスト作りを実践していました。見せてもらったことはありませんが(見る気もありませんでしたが)、五十個ほどの項目(条件)になっていたそうです。ちなみに彼自身は若くはありませんでした。

 で、その彼があるとき、他教会の牧師の娘さんとお見合い(みたいなこと)をすることになりました。彼は「ついにこの時が来たか」と大興奮。でも実際会ってみると、好感触だったにも関わらず、リストと違う点が幾つかあり、主任牧師の反対もあって、泣く泣く諦めたそうです。

 でもこれ、逆に言うと五十個もの条件のほとんどに合致した、ということですよね。それだけでも奇跡的だと思うのですが。わざわざ自分でハードルを上げて、自ら転んでしまったような感じではないでしょうか。

 それにそもそもリストは自分の願望を挙げただけなのですから、それがそのまま「神様が備えられた相手」になるというのもおかしな話です。自分で作ったリストに神の意志が間違いなく働いているなどと、どうして自信を持って言えるのでしょう。彼には気の毒なのですが、今思うとそういう矛盾点がいろいろ見えてきます。

☆ ☆ ☆

 以上は私が知っている聖霊派教会群でのお話です。
 他の教団教派の方からしたら、異様な光景かもしれません。

 福音派の知人から聞いた話ですが、そこではむしろ結婚が推奨されているようです。どんどん結婚して、どんどん子供をつくりなさい、みたいな。信徒の頭数が増えればそれだけ献金額が増えるからだろう、と私は勝手に邪推したのですが。

 でもそっちの方が教会の未来のためになる気がします。上記の聖霊派教会群みたいに結婚を制限して待たせていたら、いわゆる再生産が行われませんから。高齢化ばかりが進んでしまいます。

 いずれにせよ、信仰や教えを駆使して、信徒の結婚の自由を奪うのはいけません。心当たりのある方、よくよくご注意下さいませ。

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・クリスチャンの結婚を妨げる第一の壁:牧師様の言う通り?
・第二の壁: 独身の賜物?
・第三の壁:「慰め」から「迷い」への逆転。
・第四の壁:結婚のためのリスト作り?
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