カルト、非カルトに関わらず、キリスト教会で何らかの被害に遭った方を、ここでは「教会被害者」と呼ぶことにしましょう。
皆さんのまわりに、教会被害者はいらっしゃるでしょうか。そしてもしいる場合、皆さんはどのように接していらっしゃるでしょうか。
私が思うに、一番やってはいけないのはこれです。
・「なんでそんな教会に行ったんだ。おかしいと思わなかったのか」
→被害者にも落ち度がある、というセカンド・レイプ。
・「教会(牧師)を批判してはいけない。むしろ許すべきでしょう?」
→あくまで被害者を非難する、教会(牧師)擁護。
この二つは最悪です。こんなこと言うくらいなら、黙っていた方が全然マシです。でも案外これを平気で言う人たちがいますから、注意が必要です。
教会被害者でこういうことを言われた人、たぶんいると思います。酷い目に遭いましたね。できるだけ無視して、忘れてほしいと思います。被害に遭ったのはあなたの落ち度でありません。悪いのは教会(牧師)です。
次にやってはいけないのはこれです。
・「回復を求めて祈りましょう」
「聖書は◯◯と言っています」
「礼拝の中できっと癒されます」
「主は賛美の中に住まわれます。一緒に賛美しましょう」
→正論型無配慮。被害者はそういうの(祈りとか聖書とか礼拝とか賛美とか)が嫌なのです。
微妙なのはこれです。
・「◯◯先生のカウンセリングを受けたらいいよ」
「今後、こういうステップを踏んで回復していったらいいよ」
→親切型おせっかい。いえ、こういうのが嬉しい人もいると思いますよ。でも全員が全員じゃありません。余計なお世話だと思う人もいます。そういうのはいいから放っておいてほしい、という人もいます。
・「あの人は傷ついてるから、教会の話はタブーだね」
「あの人がいるところでは何か楽しい話をしよう」
「何か楽しいアクティビティで、嫌なことを忘れさせてあげよう」
→爆発物処理班。被害者は教会の話をしたくないんじゃありません。むしろ積極的にしたいと思っているかもしれません。
ではどういう対応がいいのでしょうか。
もちろん被害者を一括りにして何かを言うことはできません。
でも私個人が「こうしてほしかった」「こうしてもらって助かった」と思うのは、「普通に接してもらうこと」です。あくまで普通に、自然に。
相手が教会被害者だからって、積極的に助けようとしなくていいのです。また傷ついているだろうからって、腫れ物みたいに扱う必要ありません。被害者として扱うのでなく、一人の人間として扱ってくれれば、それでいいのです。それで十分だし、それこそが大切だと私は思います。もちろん、上記の禁止事項を守ってくれたうえで、ということなのですが。
無理に同情してくれなくていいし、気の利いたことを言おうとしなくていいです。ただ友だちとして接してほしいのです。「援助者ー被援助者」という関係は、専門のカウンセラーとだけで十分です。
教会被害者は、一方的に助けれらなければならない存在ではありません。
あなたが教会に通っているクリスチャンで、もし何処かで教会被害者と接する機会がありましたら、この話を思い出してくれれば嬉しです。
爆発物処理班に笑いました(笑)
返信削除そして正論型無配慮!いるいる!
教会にたくさんいるいる!ネーミングセンス最高です。
教会被害者、たくさんいますよね。もしかしたら自分も以前言ってたあの教会で受けた傷は...?と思うところもあります。
そして、多くの人は教会被害にあっても「信仰」フィルターに通し、これは神様からの試練、受け入れられない不信仰な自分...と責め続けていると思います。
笑っていただいて、ありがとうございます。
削除おっしゃる通り、被害に遭っても「自分が未熟なんだ」「信仰の訓練なんだ」「神からの試練なんだ」みたいに考えてしまう人が多いと思います。そう教えられているから仕方ないのですが。自分もそうでしたし。要はマインド・コントロールなのですよね。
一人でも多くの人が、そのコントロールに気づいて離れることができるように、と願ってこのブログを書いている次第です。
実に的確なご指摘!
返信削除私は「教会被害者」です。私の周りの9割9部の人が、牧師の側に立っている「牧師擁護」派、牧師を批判できない「良い子ちゃん」たちです(思うところはあっても、勇気をもって批判ができないのでしょう)。たった一人「あなたは悪くない!」と言ってくれている人がいます。その人の存在にどれほど励まされていることか。その人は普通に接してくれています。しっかりとした信仰をもった人ですが、教会の外の世界にも目を向けてごらん、と言ってくれています。ありがたいです。
おかげで、深く傷ついたものの、少しずつですが回復途上にあります。
教会で被害に遭われたとのこと、詳しくわかりませんが、大変だったと思います。しかも牧師擁護派に後からいろいろ言われて、さらに苦しんだのではないでしょうか。その中で一人だけでも理解してくれる方がいて、せめてもの幸いだったと思います。
削除回復の途上にあるとのことですが、時間がかかるかもしれませんね。私は教会を離れて6年くらいになるのですが、ようやく賛美ができるようになってきたかな? というようなところです。匿名様の今後の回復を、心より願っています。
>「なんでそんな教会に行ったんだ。おかしいと思わなかったのか」
返信削除この一行でオウムの林泰男を思い出しました。オウム草創期に入信した彼は、「最近の尊師は変だ」とわかっていました。でも「いつか尊師が気づいて昔の尊師に戻ってくれるかも」と淡い期待を抱いていました。
また自分が勧誘した人たちもおり、その人たちに対する責任もあったので、麻原が昔とは違ってしまっていても、そう簡単に逃げ出せなかった事情もありました。
林泰男は責任感が強すぎるがゆえに、サリンをまくという汚れ仕事も引き受けざるをえなくなり、あのような悲劇に至ったのでした。
カルト化した新興宗教系プロテスタントにいる人の中には、おかしいと気づいていても、いずれは裏切られることになる淡い期待や、部下に対する責任があって、出るに出られない状況になっている人は少なくないと思います。
おかしいとどこかでわかっていても、状況を変えられない人もいるでしょうね。でもそのままでいると、被害者でなく加害者になってしまいます。やはり最終的には常識を働かせなければならないと思いますね。
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