以下のサイト(カリスマニュース)に貼られている動画を、ちょっと見ていただきたいのですが・・・
https://www.charismanews.com/us/58885-watch-holy-spirit-falls-on-a-child-as-she-prophesies-over-her-church
私の第一声は「気持ち悪い」でした。
皆さんどう感じられたでしょうか。
全編英語なのですが、おそらく雰囲気や、何をやっているかは伝わると思います。
要は「子供が聖霊に満たされて預言している」という図です。
10歳くらいの金髪の白人少女が、とても大胆に、流暢に、力強く、会場を沸かせながらしゃべっています。時々「異言」モドキも入っていますね。才能あふれる少女のようですから、早々にユースリーダーとかユースパスタ―とかになるかもしれません。そしてうまく行けば(?)将来カリスマ伝道者になれるかもしれません。
その意味では大変感心させられる動画でした。いわゆる「原理主義教会の英才教育」だからです。
同じような図が "Jesus Camp" にも見られますね。
旧約聖書のヨエル書2章28節に「あなたがたの息子や娘は預言し」という箇所がありますから、彼らは「子供だって預言する」と主張するのでしょう。ただし新約聖書にそれを裏付ける箇所はありませんが。
この少女が「預言」している内容に注意してみましょう。どんな「預言」でしょうか。
彼女が繰り返し叫んでいるのは、要は「祝福されます」ということです。同じような内容を延々と繰り返しているだけです。でも力強い口調と大袈裟なゼスチャーで会衆を煽りまくっていて、会衆(大人たちです)もそれに同調して拍手したり叫んだり泣いたりしていますから、何かすごいことが起こっているように見えます。「子供が舞台に立って大胆に預言している」という図の新鮮さとインパクトも関係あるでしょう。またこの少女自身の語りの巧さも関係あります。
でもこれは「聖書的」とか「霊的」とかと言うより、エンターテイメント的と言うべきです。ショーであり見世物なのです。
なぜこういうことをするかと言うと、教会を盛り上げるためです。神様はすごい、この教会はすごい、この教会で起こっていることはすごい、と思わせ、より多くの人々を集めるためです。ではなぜ多くの人々を集めるのか? その答えは、言うまでもないでしょう。
子供を表舞台に立たせるなとは言いませんが、子供は第一に保護され、守られなければなりません。そしてその成長の道筋は保護者が管理しなければなりません。つまり子供がどのように育つかは子供の勝手なんかでなく、親の責任だということです。
この動画の少女が今後どうなっていくかわかりませんが、この若さ(と言うか幼さ)で教会にどっぷり浸かり、「預言」だの 「異言」だのにハマっているのは「偏っている」と言わざるを得ません。信教の自由があるのはもちろんなのですが、そもそもの話として、彼女に「選択の自由」はあったのでしょうか。
そういう視点で見るならば、これは「幼児虐待」なのではないかな、という気がしないでもありません。
さて皆さんは、どう考えるでしょうか。
キモいの一言ですね。「異言が話せなくては、どうやって人のために祈れるの?」とか、お前、何様だよ。クソ。こんなバカをステージにあげて、好き勝手しゃべらせている教会&大人たち。お前らはさらにクソだな。自分も以前は、こんなコミュニティにどっぷりつかっていたけど、マジでキモい。キモすぎる。
返信削除Fuck the fake fuckin christianity.
ペンテコステの主日はすぎましたが、使徒行伝に記述がありますね。この日を教会誕生としていますね。使徒や信者たちが集まっていると聖霊が降臨して、いろんな言葉を語り出したというわけですが、異言を語り合ったという説もありますね。
返信削除私が思うに、いろんな言葉を話す人々が、それぞれの言葉がわかり合って、仲良くなれたらいいねという願いがこの聖霊降臨という話に仮託されていますね。
ペンテコステ派の教会は聖霊の働きが異言となって現れると考えているようですので、子供でもそういう行為が自然にできるようになるのでしょう。ある種のトランス状態とも言えますね。
私などは、聖霊は人間の良心に働きかけて、良心を強めるものであり、悪霊は人間の邪心に働きかけて、邪心を強めるものとであると考えておりますが。
聖書の記述にはある程度「創作的意図」が含まれていると、私自身は考えています。だから奇跡にしても癒しにしても、その通りのことが本当に起こったのでなく、その記述には別の意図があった、と。
削除その視点で言えば、ペンテコステの日に起こったことにも、kametaniさんがおっしゃるような仮託があったのではないかと思います。
ただそれを「字義通り」に受け取ってしまうのがペンテコステ派で、彼らは何が何でも字義通りでなければならないから、いろいろ大変なことになっているんだと思います。
超ペンテな教会に通う超ペンテな両親に育てられた30代の男性の方から聞いた話です。 子供の時に教会で誰でも異言を唱えることができるのだと教育されしかも子供が列になって並ばされてその教会に通う大人の信徒二人が両脇に立って圧力をかけたので恐怖心から適当に異言めいた言葉を吐いたら ほ~ら 出来るじゃないと離れてくれた、、 それがトラウマとなっていて両親からも距離を置きどんな派の教会に通っても警戒心一杯でなかなか馴染めないとうちの教会に来られていた時に話されましたね。 その方うちのような地味な教会も続かず最後はフェードアウトされました。 残念ですが両親と教会の犠牲者だと理解しました。
返信削除「異言」を捏造しなければならないという忖度があったのですよね。よくわかります。同じような状況で「異言」を「言わされた」人が沢山います。その圧力こそが罪でしかないと思うのですが。
削除エホバの○人の信者を親に持つ同級生が、私の通っていた中学に6人位いました。
返信削除自分がどう振る舞うと、信者の大人達が喜ぶかをよくわかっていました。
例えば、運動会の応援合戦や、卒業式の校歌斉唱には参加しない。偶像崇拝だから、という理由で。
そういったことを証しとして、集会(誘われて行きました)で語り、その子達を大人が満面の笑みで囲んでいました。
後年、私を集会に誘った子と成人後に出会ったとき、集会には行っていたいと聞きました。
あんなにチヤホヤされていたけれど、何かいろいろあったんだろうなぁ、と思いました。
自分も子を持つ親として、子どもを守るために、自分の信条を押しつけないこと、危険な集団からは離れるようにすることを肝に命じます。
子供は大人の顔色に敏感ですから、ほとんど無意識的に、大人が喜びそうなことをしますよね。でもそれに気づかない大人は「なんて信仰的な子だ」と感動してしまいます。
削除一番いいのは、子供をそういう偏った環境に置かないことだと私も思います。教会に行くのは、大人になってからでも全然遅くありませんから。