生まれた時からインターネットがあり、幼い頃からパソコンやスマホでネットを駆使してきた世代を、「ネット・ネイティブ」とか「デジタル・エイジ」とか呼ぶようです。おそらくここ20年の間に生まれてきた人たちのことでしょう。まだ若い人々ですね。
もちろん彼らに限ったことでなく、今はどこでも誰でもスマホ画面に見入っていますから、この時代そのものがデジタル・エイジとも言えます。
最近海外のキリスト教メデイアのニュースレターに、こんな記事がありました。
「スマホを置きなさい、息子よ(Drop the iPhone, Son)」
要は、若者たちが教会でもスマホばかりいじっているから、神様と過ごしたり信徒どうしで交流したりする時間が削られている、という嘆きです。スマホが牧会の大きな妨げになっている、と。
たしかに教会内を見渡しますと、さすがに礼拝中はない(少ない)でしょうけれど、多くの人が暇さえあればスマホをいじっています。もちろん全員ではありませんし、若い世代に限ったことでもありませんが。
でもこれはもう仕方のないことだと私は思います。
ネットやスマホは私たちの生活を大きく変えました。いろいろ便利になりました。逆に面倒も増えました。でもいずれにせよ、以前の状態に戻ることはありません。それどころか今後ますます加速して行くでしょう。
だから「スマホを置きなさい」というメッセージはあまり現実的でない気がします。下手すると「スマホ禁止」「ネット禁止」みたいな論外な方向に進みかねませんから。むしろ方向性としては、スマホを持っているのを「標準」と考えるべきでしょう。それを「異常」と考えるのでなくて。
つまりスマホを掲げている相手にどう対応するか、という方向です。
たとえばスマホには「聖書アプリ」がいろいろありますね。私は無料の You Version を使っています。正直「今日の聖句」とか「トピック別の聖書箇所」とかは要らないんですが、重たい聖書を持ち運ばずに済むのが良い点です(もう紙の聖書は持ち歩いていません)。また検索機能が便利です。あれ、あの言葉どこだっけな? という時に重宝します。
あるいは礼拝のライブ配信とか、スカイプでの個人相談とか、LINEグループで一斉連絡とか、SNS伝道とか、他にもいろいろあると思いますが、そんなふうに教会としてもネットやスマホを活用しているはずです。
であるなら、若者だけに「スマホを置け」というのもおかしな話ではないでしょうか。
むしろ「スマホを持て」と積極的に打ち出す方が、このデジタル・エイジに即した教会スタイルではないかな、と私は思います。もちろんスマホ依存、ネット依存となると、また全然別の話になるのですが。
福音派の教会の朝礼拝に10か月ほど通っています(教養として宗教を学びたく、求道者でもないのに一回も休まず)。
返信削除聖書は新共同訳続編付きを所有していますが、礼拝中はスマホアプリ聖書を見ています。新共同訳はBibleOn、口語訳はYouVersion、新改訳はサイトのchristian-life.jpで、比較対照しています。スマホで聖書を見ていることは、予め牧師に許可を得ています。
持ち運びが楽だし、字も大きいし、今後は電子版聖書が普及していくのではないでしょうか。
教養のために10ヶ月も通ってらっしゃるのですね。よほど興味がおありかとお察しします。何か得たものはあったでしょうか。
削除私も聖書はスマホのアプリで十分だと思っているのですが、中には「紙の聖書でないと!」「分厚い聖書でないと!」みたいな時代錯誤が横行している実態もあります(苦笑