(教会は)新来者に来てほしいと、本当に思っていますか?

2018年4月29日日曜日

教会生活あれこれ

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教会訪問記

 先日、初めての教会に行ってみました。
 わりと歴史の長そうな、伝統的なプロテスタント教会です。一見して教会かどうかわからないテナント式でなく、立派な建物を構えていました。
 どことは言いませんが、ごく一般的な教会でした。言い方が悪いかもしれませんが、どこにでもありそうな感じの。

  なぜ行ったかと言うと、以前も書きましたが私は「教会巡り」をしているからです。いろんな教会に行ってみて、日本のキリスト教界なるものを知りたい。その実態を知りたい。そんなふうに思っているからです。

 で、今回はその教会に行ってみました。
 日曜日の午前11時近くでした。礼拝が始まって15分くらい経った頃です(その時間を狙って行きました)。

 玄関は開いていました。
 当たり前だと思われるかもしれませんが、最近は礼拝中に施錠する教会もあります。よくわかりませんが防犯対策でしょう。諸外国では教会を狙ったテロもありますから(今のところ日本では起こっていないと思いますが)。

 中に入ってみますと、受付に人はなく、呼び鈴の類もありません。防音がしっかりしているためか、礼拝中にもかかわらず静かでした。むしろひっそりしていて、本当に人がいるのだろうかと不安になったくらいです。『エイリアン2』で海兵隊が降り立った居住施設が無人だったのを思い出しました(関係ない)。

 受付にはいろいろな印刷物や書籍が無防備に置いてあります。あれでは黙って持って行かれても仕方ないのですが、たぶんそういうことは起こらないのでしょう(教会によっては、礼拝中の盗難被害もあるようです。気をつけて下さい)。

 そのまま進んで行きますと、礼拝堂のドアに当たりました。開けると、とたんに大きな音が響きます。ちょうど賛美の最中でした。ザッと見たところ、席はほとんど埋まっています。なかなか盛況でした。

 そこで初めて受付の人に遭遇しました。あら、初めてですか、とちょっと意外そうでした。それでも週報をくれて、空いている席に案内してくれます。ちょうど真ん中あたりの席でした(後ろの方が良かったのですが、後ろの方ほど空いていませんでした)。
 新来者のせいか、周囲からの視線を感じました。ちょっと居心地が悪かったですね。
 ちなみに週報は受付の人がずっと持っていたものらしく、しわしわでした(笑)。

 年配の方が多かったです。若くても30代以降でしょうか。でも週報を見ると「今月の受洗者」の欄に名前がズラリと並んでいて、カッコ書きの年齢は10代が多かったです。もしかしたら夜の礼拝は、若い人が多いのかもしれません。
 ところで誰でも見られる週報に、フルネームと年齢を掲載するのは、個人情報保護的にどうなんでしょう。ちょっと心配になりました。

 礼拝の流れはごくごく一般的なものでした。賛美を歌って、お祈りして、牧師さんの話を聞いて、またお祈りして、献金して、また賛美して、何度か立ったり座ったり、という感じです。牧師さんの話が長くないのが、個人的には良かったです。

 賛美の最中ですが、ある曲の時、私の後ろにいた女性がオペラ歌手みたいに声を張り上げて驚きました。ものすごいビブラート(笑)。たぶん得意な曲だったんでしょうね。気持ちよさそうに歌っていました。私は知らない曲だったので全然歌えませんでしたが。

 さて、礼拝は全部で1時間くらいで終わりました。私はさっさと帰ります。私に関心のありそうな人はおらず、声も掛けられませんでしたから。信徒の皆さんも、特に盛り上がっておしゃべりする様子はありませんでした。私と同じように、黙って出て行く人も少なくなかったです。

  というわけでその教会訪問は終わりました。感想はと聞かれたら、ごくごく一般的でした、と答えます。
  また行きますか、と聞かれたら、機会があれば、と答えます(察して下さい笑)。

 新来者を迎える準備は・・・?

 その教会がどうこうでなく、一般的な話としてですが、教会は新来者を迎える準備ができているでしょうか。

 たとえば席ですが、新来者が来たらどこに座ってもらうか、何を渡すか、最低限何を確認しておくか、決めてあるでしょうか。
 中には右も左もわからないからいちいち説明してほしい、という新来者もいます。あるいはわかっているから放っておいてほしい、という新来者もいます。そのへんを確認しないで、前者を放置していませんか。あるいは後者に懇切丁寧に説明していませんか。

 もしかしたら馴染みの信徒さんたちは、いつも同じ席(しかも後ろの方の席)に座っていませんか。自分(たち)のテリトリーを決めていませんか。そうして新来者を前の方の席に追いやっていませんか。新来者は多少なりとも緊張していますから、後ろの方の目立たない席がいいと(私は)思うのですが。

 あるいは賛美中、得意な歌だから、あるいは歌が得意だからと、カラオケみたいに独唱していませんか。声を張り上げて何が悪い、と言われるかもしれませんが、賛美とは声を合わせるものです。もちろん声の大小はありますが、一人だけオペラ歌手みたいな大音量で歌うのは、嫌らしいと私は思います。歌が上手いのを自慢したいんですか? と思う私の方がひねくれているのかもしれませんが(笑)。

 また、新来者が来たら何と声を掛けますか。あるいは声を掛ける気がありますか。新来者が自分から声を掛けないと会話が始まらないとしたら、教会は「どなたでも歓迎です」とは言えません。それは「歓迎」でなく、礼拝に参加してもいいですよ、という「許可」に近いです。

 もしかしたら「新来者は来ない」のが前提になっていませんか。信徒が連れてくる、いわゆる縁故の新来者だけで。

 今日はちょうど日曜日ですから、そういうこともちょっと考えてみたらいかがでしょう。
 もし新来者が来たら、軽く挨拶するとか、ちょっと微笑みかけるとか、していただけたらと思います。それだけでも新来者は、ずいぶん安心すると思いますから。

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