チャーチスクールは良いもの? 悪いもの?

2018年3月28日水曜日

雑記

t f B! P L
 もうすぐ4月ですね。
 新年度の始まりです。進学や就職、異動や転職などで新しい環境に入る人もいるかと思います。期待と不安が入り混じったような心境かもしれませんね。

 進学と言えば、クリスチャンの方の中には、チャーチスクールに入学する(あるいは子供が入学する)人がいるかもしれません。チャーチスクールと言えば一時期は盛んでしたが、このところだいぶ数が減ってしまったようです(一部の学校では、問題も起きました)。
 全国的なムーブメントだったのが、遠い昔のことのように(私には)思えます。

 それでもチャーチスクールに入学しようとするならば、きっといろいろ考えてのことでしょう。様々な状況を鑑みてチャーチスクールを選んだのでしょうから、その選択が後悔のないものであればと、願うばかりです。

 私が思うに、チャーチスクールとは「選択肢の一つ」です。
 よく「クリスチャン子弟にはチャーチスクールが最善だ」「チャーチスクールこそが主の道だ」みたいに言う人がいますが、ちょっと言い過ぎですね。だってチャーチスクールにもいろいろ欠点がありますから。実際に傷つき被害に遭った親子もいますから。公立(あるいは私立)の学校にいろいろ欠点があるのと、基本的に変わりません。

 あるいは「チャーチスクールなんてダメだ」「教員免許のない連中が教えるなんて法律違反だ」と言う人もいますが、これもまた言い過ぎですね。と言うのは、チャーチスクールで(キリスト教に入信したという意味でなく)救われた子たちもいますから。それに厳密なことを言えば、チャーチスクールは形態としてはフリースクールと同じですから、教えるのに教員免許は必要ありませんし、何かの法律を犯しているわけでもありません。

 チャーチ―スクールとは絶対的に「良い」ものでなく、また絶対的に「悪い」ものでもない、というわけです。
 だから、「選択肢の一つ」だと。
(ちなみにチャーチスクールの是非について書くと長くなりますので、別の機会にします。)

 ただしその選択の結果については、すぐにはわかりません。当然ですが。
 子供がどうなっていくのか、どう成長していくのか、それを見定めるには、ある程度時間が必要になります。
 たとえば、チャーチスクールに入って本当に良かったのか? その答えが出るのは、おそらく何年も先のことになるでしょう(あるいは、出ないかもしれません)。

 また、公立の学校に進んだからこうなった、私立の学校に進んだからこうなった、チャーチスクールに進んだからこうなった、というのは結果論でしかありません。もう時間を戻せないし、別の選択をした結果を見ることもできないからです。無情と言えば無情ですが。

 というわけで何を選んでも悩ましいのは同じですから、これはもう選択そのものを大切にするしかないと思います。沢山考えて、あれこれ悩んで、あるいはシンプルに直感に従ってでもいいんですが、とにかく「その時点における最善の選択」をすることではないでしょうか。最善の中の最善、ベストの中のベストを。

 そこまで考え尽くして、もうこれ以上は考えようがない、これが一番だ、という結論に達したなら、もうそれ以上悩む必要もないと思います。だって、それが最善のはずですから。

 もちろん、それでもなお不安だっていう気持ちもあると思うんですけどね。

 いずれにせよ、チャーチスクールは善でもなければ悪でもなく、一つの選択肢であって、子供にとって良いか悪いかはすぐにはわからない、というのが今回の私の結論です。

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