もうすぐ4月ですね。
新年度の始まりです。進学や就職、異動や転職などで新しい環境に入る人もいるかと思います。期待と不安が入り混じったような心境かもしれませんね。
進学と言えば、クリスチャンの方の中には、チャーチスクールに入学する(あるいは子供が入学する)人がいるかもしれません。チャーチスクールと言えば一時期は盛んでしたが、このところだいぶ数が減ってしまったようです(一部の学校では、問題も起きました)。
全国的なムーブメントだったのが、遠い昔のことのように(私には)思えます。
それでもチャーチスクールに入学しようとするならば、きっといろいろ考えてのことでしょう。様々な状況を鑑みてチャーチスクールを選んだのでしょうから、その選択が後悔のないものであればと、願うばかりです。
私が思うに、チャーチスクールとは「選択肢の一つ」です。
よく「クリスチャン子弟にはチャーチスクールが最善だ」「チャーチスクールこそが主の道だ」みたいに言う人がいますが、ちょっと言い過ぎですね。だってチャーチスクールにもいろいろ欠点がありますから。実際に傷つき被害に遭った親子もいますから。公立(あるいは私立)の学校にいろいろ欠点があるのと、基本的に変わりません。
あるいは「チャーチスクールなんてダメだ」「教員免許のない連中が教えるなんて法律違反だ」と言う人もいますが、これもまた言い過ぎですね。と言うのは、チャーチスクールで(キリスト教に入信したという意味でなく)救われた子たちもいますから。それに厳密なことを言えば、チャーチスクールは形態としてはフリースクールと同じですから、教えるのに教員免許は必要ありませんし、何かの法律を犯しているわけでもありません。
チャーチ―スクールとは絶対的に「良い」ものでなく、また絶対的に「悪い」ものでもない、というわけです。
だから、「選択肢の一つ」だと。
(ちなみにチャーチスクールの是非について書くと長くなりますので、別の機会にします。)
ただしその選択の結果については、すぐにはわかりません。当然ですが。
子供がどうなっていくのか、どう成長していくのか、それを見定めるには、ある程度時間が必要になります。
たとえば、チャーチスクールに入って本当に良かったのか? その答えが出るのは、おそらく何年も先のことになるでしょう(あるいは、出ないかもしれません)。
また、公立の学校に進んだからこうなった、私立の学校に進んだからこうなった、チャーチスクールに進んだからこうなった、というのは結果論でしかありません。もう時間を戻せないし、別の選択をした結果を見ることもできないからです。無情と言えば無情ですが。
というわけで何を選んでも悩ましいのは同じですから、これはもう選択そのものを大切にするしかないと思います。沢山考えて、あれこれ悩んで、あるいはシンプルに直感に従ってでもいいんですが、とにかく「その時点における最善の選択」をすることではないでしょうか。最善の中の最善、ベストの中のベストを。
そこまで考え尽くして、もうこれ以上は考えようがない、これが一番だ、という結論に達したなら、もうそれ以上悩む必要もないと思います。だって、それが最善のはずですから。
もちろん、それでもなお不安だっていう気持ちもあると思うんですけどね。
いずれにせよ、チャーチスクールは善でもなければ悪でもなく、一つの選択肢であって、子供にとって良いか悪いかはすぐにはわからない、というのが今回の私の結論です。
学校教育がひどすぎますから、チャーチスクールが悪いとは思いませんね。
返信削除フリースクールの1つとして、キリスト教教育に興味がある人は選択肢に入れておいても良いと思います。
ただ、チャーチスクールにかぎらず、子どもの成長とともに学校との相性は変わるものですから、定期的に見直すことをオススメします。
チャーチスクールもなかなか負けていない。
削除たしかに、子供の状態は流動的ですから、その時その時でニーズや相性が変わっていくものですよね。学校は簡単に変えられないかもしれませんが、子供にとっての最善を簡単に決めつけないことが大切だと思います。
削除無認可だったりする・・・
削除無認可自体は別に問題ではありません。
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