2021年1月1日(金)の雑記

2021年1月1日金曜日

雑記

t f B! P L

・年賀状代わりのイラスト

 牛さんとイエスさん、あけおめ!!

・昨夜のテレビの話
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」の人たちの、人を叩いたり貶したりの芸風(?)がもともと好きでないです。だから全然見ていません。
 Twitterで知りましたが、昨夜は「ハーフの架空の名前を考えて笑う」というブラックフェイスに輪をかけて酷い企画をやらかしてしまったそうです。学校の何でもやりたい放題なガキ大将みたいではないでしょうか。もう「ガキ使」でなく、「ガキ大」に変更したらいいと思います。

 真面目な話、「ハーフの名前で笑う」というコンセプトの暴力性に気づくべきです。ただでさえミックスルーツは笑いのネタにされやすいです。虐めの対象にもなりやすいです。それを増長するような真似をテレビが、有名人がしていいはずがありません。「そういう芸風だ」で済まされる話ではありません。
 芸風で人を追い詰めたり殺したりするのをいい加減やめる2021年にしてほしいです。

・植えられるべき教会?


 教会を変えることを「転会」と言います。

 教会は詰まるところ人間が集まる組織です。ですから教会ごとに雰囲気が違います。教派的な違いももちろんありますが、集まる人間による違いの方が大きいです(個人調べ)。

 ですから教会と個人のマッチングがとても重要になります。合う人、合わない人がいます。合わないところで教会生活を送るのはしんどいことです。信仰の質そのものが左右されかねません。


 教会はいろいろ試すのがいいと思います。


 しかしこういう話になると、「11人植えられるべき教会がある」という運命論を持ち出す教職者がいます。
 あなたが「植えられるべき教会」は決まっているのだから、他の教会に行くなどあってはならない、という暴論です。なぜ自分が通う教会を、他人に決められなければならないのでしょうか。
 要は、「この教会にいてほしい」「他に行ってほしくない」「定期献金者を失いたくない」という教職者のワガママでしかありません。


 現実には、人間どうしの相性ばかりはどうにもなりません。もちろん多少の忍耐や歩み寄りは必要です。しかしそれにも限度があります。

 それを無理に我慢させることになる、「あなたはこの教会に植えられるよう導かれています」は、もうやめた方がいいでしょう。

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