ところでEUは、聖書の(過激な)終末論者に言わせれば、旧約のダニエルが夢で見た「金の像」の「足の部分」に相当するはずだ。金の像の10本の足指は国々の連合を表していて、一部が鉄で一部が粘土なのは、国々の強弱を意味している、とか。だから金の像の頭、胸、胴に当たるバビロン、ペルシャ、ローマに続いて世界を支配するのは現在のEUで、反キリストもヨーロッパから出る、みたいな解釈を彼らは大真面目にしている。
でもイギリスがEUを離脱したら国々の連合も綻ぶわけで、彼らにとって都合の悪い動きだと思うけれど、そのへんはどう解釈するのだろう。またまた「主の哀れみにより回避された」みたいな、都合のいい解釈をするかもしれない。
終末について学んだり論じたりする上で大切な姿勢は、「現在の世界情勢に聖書の記述を無理やり当てはめない」ことだと私は考えている。全然意味がないから。だいいちどの時代にも大抵、終末を思わせる出来事や雰囲気はあった。西暦1世紀のクリスチャンたちだって、自分たちの時代を終末と思っていた。だから現代も終末っぽい気がしたとしても、そうだと言い切ってしまうことはできないはずだ。もちろん終末でないと完全否定することもできない。けれど同じ論調で、完全肯定することもできない。
終末において大切なのは時代読み解きクイズとか聖書推理とかでなく、キリストが終末について何と言っているかだ。そしてそれはすごくシンプルなことだ。すなわち「惑わされないようにしなさい」
そういうことを考えても、現代を終末と決めつけてしまう姿勢には、クリスチャンとしての「目的のズレ」を感じる。
たとえば、仮にEUが世界を支配する「終末期のバビロン」だとして、我々キリスト教信仰を持つ者は具体的に何をするべきだろうか。
今のうちに、EU内の一等地に土地でも購入しておくべきか。
それともユーロを大量に買い込んでおくべきか。
あるいはEUを統括する組織にスパイでも送り込んでおくべきか。有力者たちの人脈を作っておくべきか。
そういうのは、仮にEUが悪の帝国となって世界を支配し、世界中でクリスチャンを迫害するようにでもなったら、何かの役に立つかもしれない。その時は、自分たちのことを「油を絶やさなかった賢い娘たち」にたとえて気分がいいかもしれない。
でもそれらがキリストの教えを実践することと何か関係あるかと言うと、何もないと私は思う。自分(と身内)の暮らしとか安全とかを確保したいだけに思えてならない。目的がズレている気がしてならない。
たとえばだけど、キリストが最後の夜をゲツセマネの園でひっそりと過ごすのでなく、ピラトのもとにこっそり行って裏取引でもしていれば、死刑にならずに済んだかもしれない。でも、それは彼の目的ではなかった。
こうすればいいというライフハックと、本来の目的との整合性の問題。
そういう目的のズレはよくあると思う。昨年のイスラエルによるガザ攻撃をみて「これはマジ終末」とかほざく人もいたし、他にもキリストが結婚していたかもしれないとか、隠し子の血統が現在まで脈々と続いているとか、日本人はユダヤ人の血を引いているとか、ドロローサのキリストの顔を拭った布切れが見つかったとか、だから何なのっ話に夢中になっている人もいる。どれもキリストの教えの実践とは1ミリも関係ない。
でもぶっちゃけ、与太話が好きな人は止めようがない。いかようにも聖書を解釈し、世界情勢を解釈し、好き放題言い続ける。そして人々を恐怖させ、危機感を抱かせ、自分に依存させようとする。それで「先生」とか「預言者」とか「先見者」とか呼ばれる、その刺激に酔いしれている。麻薬中毒者みたいなものだ。
私のせめてもの願いは、それに追従する人が少しでも減ることだ。追従者が減れば彼らの勢いも削がれる。だから私はこういうのをコツコツ書いている。結果がどうかはわからないけれど。