時間
私がカルト化教会で「長年搾取されてたんだな」とはっきり認識できたのは、教会が解散して何ヶ月か経ってからでした。その間は「何かが間違っていたけれど、何が間違っていたのかよく分からない」状態でした。何が信仰で何が搾取なのか、よく分からなくなっていたのです。それだけ強くマインド・コントロールされていたのかもしれません。
カルト信者の被害は、カルトを脱会して「はい、終わり」とは行きません。むしろそこから、自分がいかに縛られていたかに気付くプロセスが始まります。おそらく、長く時間のかかるプロセスが。
ネガティブ・ケイパビリティ
当時は教会解散に関連した様々な事柄(連日の話し合いや事務的な作業、他教会への説明や事業の整理等々)が同時進行していて、毎日混乱状態でした。個人的な(主に信仰面の)思索や反省などは二の次です。日々対応しなければならないことに追われていました。そんな中で私がなんとなく期待していたのは、「この騒動の全てをよく分かっている人物がどこかから現れて、全部スッキリ説明してくれたらいいのに」ということでした。「あなたは今これこれの状態にあります。だからこうしなさい」と。そう明確に指示してくれたらどんなに楽だろう、と思っていました。
しかしその思考自体が、カルト牧師に依存しきった精神状態だったと振り返って思います。正解をポンと与えてほしい、という他者に依存した精神状態から、抜け出せていなかったのです。
カルト被害に遭った人に根本的に必要なのは、最近の言葉で言えばネガティブ・ケイパビリティなのだと思います。正解のない、不確実な状態に耐える力のことです。誰かが簡単に与えてくれる「正解」に頼らず、自分で選択し、結果をそのまま引き受ける力のことです。
私はもともと「正しいことが何なのか知りたい」という「正しさ依存症」のようなところがありました。人生の絶対確実な真理が欲しかったのです(今はそんなものは存在しないと思っていますが)。それをポンと与えて、信じさせてくれたのがカルト牧師でした。それは「正統派キリスト教」という仮面を被っていました。
居場所
私が幸運だったのは、看護師免許を持っていたことです。脱会した後、すんなり再就職できました(就職に苦労した信徒が沢山いました)。
一般の職場は私にとって衝撃でした。祈らなくていいし、聖書の話をしなくていいし、神様について考えなくていいし、「導き」とか「恵み」とかの教会用語を使わなくていいのです。気持ちが楽でした。キリスト教と無縁の人たちの中にいて、自分の頭がいかにキリスト教(のカルト寄りの教理)を中心に回っていたか気付かされました。
真水のプールに塩の塊を浸すと、塩が徐々に溶け出して、いずれは消滅します。私のいわゆる「カルト脳」は、そんなふうにして消えて行ったと思います(完全に消えたかどうかは正直分かりませんけれど)。
まとめ
カルト化教会を抜けた人の状態はそれぞれです。深く傷ついている人、混乱している人、一見平気そうな人、怒っている人、棄教してさっさと新しいスタートを踏む人、洗脳状態からなかなか抜け出せない人、等々。彼らをサポートするのに「これ」という簡単な方法はありません。あくまで個別的に、時間を掛けて接して、できることを模索していくしかありません。
今回は「カルト被害者の回復に必要なもの」として「時間」「ネガティブ・ケイパビリティ」「居場所」を挙げました。私個人にとってはどれも絶対に必要なものでしたが、やはり人によって状況は異なると思います。一つの指標、視点として考えていただければと思います。
ふみなるさんの文章を読ませて頂き、私と重なることも多くて驚いております。私も、絶対的な真理というものを求めておりました。自分の出した結論に従うより、誰かの出した「正しい」という意見に従いたいと思っていました。キリスト教こそが真理だと思い、洗礼まで受けてその道に従うような人生を歩みたいと思っていましたが、信仰することが何だかしんどくて、心が苦しくなる、周りに言っても喜んで認めてもらえるようなことでもないし、日本の文化は否定されるし、最終的にこの世のことは全否定に繋がってしまう教えに疑問を感じて、今は信仰から距離を置いています。もう少し、自分の主体性を信じるために、これからも、ふみなるさんのブログをいろいろ読ませて頂きますね。ありがとうございます。
返信削除さとみさん、コメントありがとうございます。「信仰していて、良いことをしているはずなのに、何故かしんどい」という状況は私も同じでした。教会を離れ、物理的にも精神的にも距離を置くことで、分かったことが沢山あります。さとみさんも大変なご経験をなさったと思います。どうぞ少しずつでも回復していきますように。
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