「牧師は大変な思いをしている」と言う牧師がいます。
あるいは「リーダーは大変な思いをしている」と言うリーダーがいます。
皆さんの教会には、そういう人いますか。
昔、私の教会で、ちょっとした事件が起こりました。主任牧師が中心になってそれに対応して、いろいろありましたが解決しました。詳細は伏せますが、牧師は大変だったと思います。それは否定しません。だから「牧師は大変な思いをしている」というのは、間違いではないでしょう。
でもその時、副牧師の1人がこんなことを言いました。
「牧師は様々なことに配慮して、いろいろ綿密に考えているんです。皆さんが考えないような、細かいところまで考えているんです。それだけ大変な思いをしているんです。だから皆さん、どうか牧師を尊敬して、その労をねぎらって下さい」
それを聞いた主任牧師は「そんなこと言わなくていいよ」と謙遜していましたが、まんざらでもない顔でしたね。たぶん自分の「苦労」を多少なりともアピールしたかったんだと思います。
でも私は違和感を覚えました。
なぜなら牧師なら(特に単立の牧師なら)、教会のことに対処するのは当たり前だからです。
いろいろ配慮するのも考えるのも、それが仕事ですよね? それを「大変」と言うなら、なんで牧師をやっているんですか? という話になる気がします(誤解のないように書いておきますと、牧師の仕事が大変じゃないと言っているのではありません)。
それに「大変さ」で言えば、信徒だって同じです。日々仕事や生活がありますから。言わないだけで、信徒の生活にも毎日いろいろなことが起こっていますから。
生きること自体、簡単ではありません。教会に少なくない献金だって払っています。それなのになんで、牧師だけが「大変」で、尊敬されなきゃならないのでしょうか。
と、私は思いました。
教会ではよくこんなセリフも聞きますね。
「牧師は教会の『破れ口』に立って、たった一人で戦っているんだ」
「中二病」ですか? カッコイイこと言ったつもりですか?
牧師が一人で戦っているなら、信徒だって一人で戦っています。見えないだけ、知らないだけですよ。あんまり信徒を馬鹿にしないで下さい。
それに「教会の破れ口」って何ですか。ドアが壊れてるなら黙って修理して下さい(笑)。
たぶんそういうことを言う牧師は、牧師職を重視しすぎです。自分だけが「重要な使命」を帯びているとか思っているのでしょう。
でも当然ながら、牧師だけが重要なのではありません。
たとえば「◯◯に伝道に行く」のなら、その◯◯に行くまでの道路を補修する仕事も、現地のインフラを整備する仕事も、牧師が乗る車を製造する仕事も、牧師が飲むコーヒーを作る仕事も、牧師が着る服を作る仕事も、同じように「重要」です。牧師が一人で働いているのでも、一人で戦っているのでも、一人で苦労しているのでもありません。みんなそれぞれ「大変」だし、それぞれ「苦労」しています。
そういうのが見えていないのでしょう。だから「牧師は大変な思いをしている」とか、平気で言えるのだと思います。恥を知って下さい。
つい最近も、「自分は誰よりも最前線で戦っている」なんて言う人がいました。とんだ思い上がりですね。
仮にそれが事実だとしても、そんなこと人前でカッコつけて言うものではありません。もうちょっと大人になりましょう。
ブログに例として挙げられておられる牧師職の方々に唖然とする事が多々あります。個人的には地味でカリスマもなく淡々と主のために働いておられる牧師さんを数人存じておりますので自分は幸運なクリスチャンなのかもしれません。主の業に召されたれ方々がこの暴言? 周りを固めている執事だか役員だか長老だかの皆さんは洗脳されてる状態? 教会の破れ口はカルト化への入り口でしょうか?
返信削除プロテスタント教会は、良く言えば多様性に富んでいる、悪く言えば何でもあり、ですね。
削除もちろん真面目な牧師さんも沢山います。でも一方でとんでもない教会、とんでもない牧師もいます。だから教会に初めて行く人は、よく注意しないといけません。
また、ある程度マトモだった教会(牧師)が、徐々におかしくなっていく、というケースもあります。傾向として、牧師が独断で何でも決めてしまえるような政治形態の教会は要注意ですね。
その意味では、単立教会(牧師の自営業教会)には行かない方が無難です。
昔行っていた教会で、眠れないので祈って欲しいと牧師の家に午前2時ごろ電話する人がいました。それに対して、電話する人は非常識なので止めるべきだと言う人と、牧師というのは24時間体制の仕事でありいつでも信徒に対応するのは当然だと言う人がいました。
返信削除牧師職というのは9時から5時までの会社勤務とは当然違うと思います。毎日のように牧師に電話を掛けるようなモンスター教会員もいるかもしれませんが、何か問題に直面し精神的に追い詰められ夜中に牧師に助けを求め人もいます。それを覚悟で牧師になっている真面目な人ほど真摯に対応するので疲弊してしまうのは確かだと思います。
しかし、牧師は大変だと自分で言ったり、周りにそう言わせるような人は勘違いしてますね。人に評価してもらう為に信心深いように振舞っていた偽教師たちをキリストも厳しく戒めています。
おっしゃる通り、モンスター牧師がいる一方で、モンスター信徒もいます。彼らが全体のイメージを悪くしているのは、間違いないでしょうね。クリスチャンの知り合いには良い方が沢山いますから、残念でなりません。
削除牧師だから24時間365日いつでも対応しなければいけない、というのは労働環境的に問題ありだと私は思っています。牧師自身の精神衛生も、大切ですから。
たとえば夜間の(緊急時以外の)電話は受けないとか、対応時間を決めるとか、そういう取り決めがあったらいいかもしれません。
もちろん教会の方針や牧師の考え方もあるでしょう。けれど広く「働き方」が問われる昨今、牧師は24時間体制だとか、そういう旧態依然な考え方は改めるべきだと私は考えています。
私の通ってた沖縄の沖縄市にある とある教会の女性牧師は九州からやってきて、神から語られたのが「あなたは海外に行けばそこではとても歓迎されるがよわいはながくない。私はあなたを沖縄へ遣わす。そこの民はかなくなで聞き入れないが私はそこであなたを遣わしたい。。。。」などとあたかも私たち沖縄の民のために来てくれたみたいな風潮を教会で作り上げ、「先生(女牧師)は沖縄のために福岡(実家)を置いてきた。」と副牧師(ブラジル2世)が崇拝させようと煽る煽る。自分も最初は沖縄の民を愛せなかったが、ここにいる。みたいな・・・事を日曜礼拝のメッセージでぶっこんでくる。私的には沖縄の民からしたら、頑なで悪かったわね、あなたたち福岡でも牧師としてこんな優遇受けなかっただろうし、ブラジルでも誰も見向きもしないような2世上がりの横柄な牧師にだれも賛同しませんから。って心で思ってました。
返信削除「神に遣わされて仕方なく来てあげた」アピールですね。何様なのでしょう。そんなに嫌ならどうぞ帰ってくださいって話だと思います。
削除ホント、誰か彼らに言ってほしい。信徒はありがたく思ってる人8割、私のような人2割だと思います。そんなこと言おうもんなら、「下がれサタン」と罵倒されます。下がれサタンと信徒のひとりに言っているのを目の当りにしたことがあります。牧師と違う意見述べようものなら牧師に逆らうのか?って姉妹に言ってるのを聞いたことがあります。高ぶりと高慢が彼女を支配して健康的に機能していない教会だと思い私のほうがそこを出ました。どこ目線で信徒(沖縄の民)をみているのだろうか?
削除「下がれサタン」ありますね。自分はキリスト気分なんでしょうか。
削除私の牧師も「批判でもいいから言いたいことがあったらいつでも言ってくれ」と言っていましたが、いざ文句を言うと「教会批判の罪だ!」と激怒していましたね。やれやれ。