牧師職ってそんなに「大変」なんですか?

2018年5月27日日曜日

教会生活あれこれ

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牧師は大変な思いをしている」と言う牧師がいます。
 あるいは「リーダーは大変な思いをしている」と言うリーダーがいます。
 皆さんの教会には、そういう人いますか。

 昔、私の教会で、ちょっとした事件が起こりました。主任牧師が中心になってそれに対応して、いろいろありましたが解決しました。詳細は伏せますが、牧師は大変だったと思います。それは否定しません。だから「牧師は大変な思いをしている」というのは、間違いではないでしょう。

 でもその時、副牧師の1人がこんなことを言いました。
「牧師は様々なことに配慮して、いろいろ綿密に考えているんです。皆さんが考えないような、細かいところまで考えているんです。それだけ大変な思いをしているんです。だから皆さん、どうか牧師を尊敬して、その労をねぎらって下さい」

 それを聞いた主任牧師は「そんなこと言わなくていいよ」と謙遜していましたが、まんざらでもない顔でしたね。たぶん自分の「苦労」を多少なりともアピールしたかったんだと思います。

 でも私は違和感を覚えました。

 なぜなら牧師なら(特に単立の牧師なら)、教会のことに対処するのは当たり前だからです。
 いろいろ配慮するのも考えるのも、それが仕事ですよね? それを「大変」と言うなら、なんで牧師をやっているんですか? という話になる気がします(誤解のないように書いておきますと、牧師の仕事が大変じゃないと言っているのではありません)。

 それに「大変さ」で言えば、信徒だって同じです。日々仕事や生活がありますから。言わないだけで、信徒の生活にも毎日いろいろなことが起こっていますから。
 生きること自体、簡単ではありません。教会に少なくない献金だって払っています。それなのになんで、牧師だけが「大変」で、尊敬されなきゃならないのでしょうか。

 と、私は思いました。

 教会ではよくこんなセリフも聞きますね。
牧師は教会の『破れ口』に立って、たった一人で戦っているんだ

「中二病」ですか? カッコイイこと言ったつもりですか?
 牧師が一人で戦っているなら、信徒だって一人で戦っています。見えないだけ、知らないだけですよ。あんまり信徒を馬鹿にしないで下さい。

 それに「教会の破れ口」って何ですか。ドアが壊れてるなら黙って修理して下さい(笑)。

 たぶんそういうことを言う牧師は、牧師職を重視しすぎです。自分だけが「重要な使命」を帯びているとか思っているのでしょう。

 でも当然ながら、牧師だけが重要なのではありません。
 たとえば「◯◯に伝道に行く」のなら、その◯◯に行くまでの道路を補修する仕事も、現地のインフラを整備する仕事も、牧師が乗る車を製造する仕事も、牧師が飲むコーヒーを作る仕事も、牧師が着る服を作る仕事も、同じように「重要」です。牧師が一人で働いているのでも、一人で戦っているのでも、一人で苦労しているのでもありません。みんなそれぞれ「大変」だし、それぞれ「苦労」しています。

 そういうのが見えていないのでしょう。だから「牧師は大変な思いをしている」とか、平気で言えるのだと思います。恥を知って下さい。

 つい最近も、「自分は誰よりも最前線で戦っている」なんて言う人がいました。とんだ思い上がりですね。
 仮にそれが事実だとしても、そんなこと人前でカッコつけて言うものではありません。もうちょっと大人になりましょう。

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