本を焼くことは人を焼くこと。「アンネの日記」事件について思うこと。

2014年3月3日月曜日

時事問題

t f B! P L
 図書館で「アンネの日記」とその関連書籍が破られる事件が起きている。警察の捜査が始まっているようだけれど、まだ犯人の特定には至っていない。メディアでは様々な犯人説が取り上げられ、ちょっとした話題になっている。

 こういう事件で特に注目されるのは、犯人(グループ)とその動機だろう。誰が何のためにやったのか。私は動機の方を知りたいと思う。

 本を破く(あるいは燃やす)というのは、世界中で歴史的に繰り返されている。古くは秦の焚書、近代ではカトリックの禁書目録、ナチスによる禁書などがある。おそらくその他にも沢山あるだろう。いずれにせよ禁書の目的は思想の統一である。そしてその裏にあるのは特定の人物、人種、思想、イデオロギーなどに対する弾圧である。ある一つを選び、他を排除する、ということだ。

 その姿勢に「図書館戦争」という作品を思い出した。同作品にこんな言葉が出てくる。
「本を焼く国は、人を焼くようになる」

「アンネの日記」を破いた犯人はわからないけれど、その動機にはこれと同じ姿勢があるような気がする。アンネ個人かユダヤ人全般かはわからないけれど、ある何かの存在を認めない、抹消したい、という動機があるように思える。そしてその動機は、聖書的には「殺人」に通じている。

 しかしそういう大それた思いがあるとしたら、やることが小さい。図書館でコソコソ隠れて本を破くだけだからだ。どうしても主張したい、訴えずにいられない位の切実な事情があるのなら、また違う方法を選ぶのではないか。その意味で、今回の犯人にはそれほど重要な主張はないのかもしれない。

 上記とは関係ないけれど、一つ危惧しているのは、ユダヤ文化に傾倒する教会なりクリスチャンなりが、この事件に関して根拠のない陰謀説を持ち出すことだ。イスラエルに対する「霊的攻撃」の現れだとか、フリーメーソンなりイルミナティなりの暗躍だとか、そういう突拍子もないことを言い出すのではないかと、私は他人事ながら心配している。そしてそういう陰謀説に巻き込まれて「霊的打ち破り」のために真剣に祈る羽目になる信徒がいるとしたら、それは本当に残念なことだ。

QooQ