性犯罪被害者の「落ち度」という神話

2018年5月17日木曜日

時事問題

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 今回はキリスト教とはほとんど関係ない話なのですが・・・

MeTooは始まったばかり

 昨年5月、フリージャーナリストの伊藤詩織さんが、自身の性犯罪被害を訴えてマスコミの前に立ちました。同年10月にはアメリカでMeToo運動が起こり、それまで泣き寝入りするしかなかった性犯罪被害者たち(主に女性たち)が次々と声を上げました。この運動は世界中に広がり(日本ではイマイチですが)、今日まで継続しています。

 しかしながら今年に入ってからも、既に多くの性犯罪・セクハラ被害が大小様々な形で報じられています。日本ですと某事務次官のセクハラ疑惑、某アイドルグループのメンバーによる強制わいせつ事件などありました。連日メディアに取り上げられましたから、皆さんご存知かと思います。

 そんな日本では昨年7月、性犯罪の厳罰化を含む改正刑法が施行されました。これにより性犯罪は親告罪でなくなりましたから、被害を訴えるハードルは、以前より低くなったように思われます。

 しかし現実には、日本人の(特に男性の)性犯罪・セクハラに関する意識は、まだまだ低いと言わざるを得ません。ずっと同じような被害が起こり続けていますから。 しかもそれだけでなく、被害者を責めるような言説も後を絶ちません。被害者にも「落ち度」があったとか、何か狙いがあって男性に近づいたんだろうとか。

 たとえば上記の詩織さんは会見の後、各方面からバッシングを浴びせられました(それが原因かどうかわかりませんが、彼女は現在ロンドンに移住しています)。某事務次官の件では「ハニートラップじゃないか」と言われました。某アイドルの件では「男性の部屋に行く方が悪い」などと言われる始末です。他にも「露出の多い服装が悪い」とか、「夜遅くに出歩くのが悪い」とか、とにかく性犯罪に関しては「被害者側にも一定の落ち度があった」という話に持って行かれやすいのが現状です。


 被害者の「落ち度」という神話

 実は私自身も性犯罪被害を受けたことがあります。

 詳細は書きませんが、まさかそんなことが起こるなんて思っていませんでしたから、その時は「何が起こっているのかわからない」のと「驚き」とで、思うように動けませんでした。ショックと言うより、茫然自失といった感じです。いろいろ整理が付いたのは後になってからでした。

 危険な世界だな、と思いました。治安が良いと言われていて、当たり前のように何事もなく過ごしてきたのに、こんな危険が身近にあったとは。

 男の私が痴漢被害に遭ったと聞くと、たぶんこう言う人がいます。
男なら力が強いのだから、簡単に抵抗できたでしょう?
 つまり腕力があるのだから抵抗できたはずで、抵抗しなかったのは、それをどこかで受け入れる気持ちがあったからだろう、みたいな馬鹿げた主張です。 たしかに私は格闘技をかじっていましたから、取っ組み合いになったら簡単には負けないでしょう。でもそれは「ケンカするとわかっている場合」の話です。常日頃から戦闘態勢なのではありません。

 たぶん多くの人は、まったく身構えていない時に予想外のことをされたら、パニックになって動けなくなると思います。少なくとも当時の私はそうでした。だから被害者に対する「どうしてすぐ逃げなかったんだ」「どうして抵抗しなかったんだ」「どうして◯◯しなかったんだ」みたいな指摘は、そういうヒューマン・ファクター(人的要素)を無視したものです。


 要は「後からなら何とでも言える」ということです。事が終わった後、全ての状況が明らかになった後で、「これだったらこうすべきだったでしょう?」と言うのは簡単なのです。

 そしてこれと同じ心理が、犯罪被害者にも向けられます。 これこれの状況だったら、こうするべきだったでしょう? いやそもそも、そういう状況になると予想できたでしょう? なんでそんな所に行ったの? みたいな。

 私の場合で言えば、要は「痴漢に遭った」ということです。 その字面だけ見ると、「じゃあ抵抗すればいいじゃん」となります。でも実際には上記のような「何が起こっているのかわからない」という空白の時間があったわけです。 そういう事情を勘案しないで単純な正論ばかり主張するから、「被害者にも落ち度があった」という馬鹿みたいな神話が作られてしまうのです。 と、私は考えています。

悪いのは加害者

 女性が遭う性犯罪に多いのが、「男性と2人で飲みに行った」「男性と2人で出掛けた」「男性の部屋に行った」といった類のものです。
  そしてそれらに対して指摘される女性側の「落ち度」は、次のようなものです。

「2人きりで行くからだ」
「脇が甘いんだ」
「ちゃんと抵抗しないからだ」

 でもそんなことは指摘されるまでもなく、被害者自身が一番痛感していることです。周りの人間にまで言われたら、ますます「自分が悪かったんだ」と考えるようになってしまいます。

 でももちろん、被害者は悪くないのです。何も悪くないのです。
 たとえば男性と2人で飲みに行くことは、性犯罪に遭っていい理由にはなりません。 それだけでなく遅くまで飲むことも、終電を逃すことも、その他のどんなことも、理由にはなりません。完全に加害者が悪いのです。被害者には1ミリの落ち度もありません。

 上記の某アイドルの件で言えば、呼ばれて自宅に行った被害者らが悪いのではありません。彼女らに幾分かの落ち度があったのでもありません。一方的に、そして完全に、加害者が悪かったのです。

 でも残念ながら、そのあたりを誤解している日本人(男性)が多いと思います。だからいつまで経っても被害者の「落ち度」を指摘し続けるのです。それがセカンド・レイプであるとも知らずに。

 もし何かの性犯罪被害に遭われた方がこれを読んでおられるなら、このことだけは覚えておいて下さい。
 あなたは決して悪くありません。あなたには何の落ち度もありません。だから決して、自分を責めないで下さい。

5月13日のメルマガにて、更に詳しく書いています。)

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