神様のことが怖かった

2021年6月15日火曜日

教会生活あれこれ

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 教会で頑張っていた頃、神様のことが怖かった。「常に人の心を隅々まで見ておられ、その思いをことごとく裁かれる」と聞いていたので、一日中気が抜けなかった。「悪い思い」を一瞬たりとも持ってはならない、持ったら罰せられる、と信じていたので、神様はわたしにとって検察であり裁判官であり執行官だった。弁護士不在でわたしはいつも罪を責め立てられ、裁かれていた。くる日もくる日も。


 今思うと強迫神経症的だったが。


 口では「神様を愛します」と言っていたけれど、正直怖くて、祈る時も仕事で失敗した部下が上司に恐る恐る報告しに行くような心境のことが多かった。「神様は私たちを愛し、許して下さる」というメッセージと、「神は必ず罪を裁かれる」というメッセージの板挟みで、前者を信じることができなかった。


 「それは間違った神様のイメージだ」と言われるだろう。けれど当時の自分はそういうふうにしか考えられなかった。教会でそう教えられ、牧師からそう扱われて、どうして別の考え方をすることができるだろうか。


 長らくそれで苦しんだから言えるけれど、「神様のイメージ」なんて安易に持つべきではない。それは簡単に鬼教官にもなるし、毒親にもなるし、ネグレクトする人にもなるし、甘やかすだけの人にもなるから。


 神様を具体的にイメージしようとすればするほど、自分の内面にあるもの、特に実際の親のイメージが(無意識に)投影されてしまい、そこに引きずられてしまう。結果、わたしのように神様を恐れるようにもなり得る(ハッピーな神様像を持つことができる人もいるだだろうけれど)。


 もちろん、神様が鬼教官や毒親だと言っているのではない。自分が神様に対してそういうイメージを投影してしまい、結果そういう存在にしか見えなくなる、という意味だ。だから「神様のイメージ」は具体的に持たない方がいいと思う。分からないものは分からないままにしておいた方が、間違いも少ない。


 今は信徒を厳しく規制する教会を離れ、その問題点が自分の中でだんだんクリアになってきたので、「神様よく分かんないけど、なんとなく見守ってくれてるのかな、知らんけど」くらいに思うようになった。たぶん今が一番、神様との「関係」が良いように思う。


 教会にいた時は不幸だったけど、離れたら幸せになった、という皮肉な話だ。ちゃんと教会に所属して信仰生活を送っているのになぜか苦しい、と内心感じている方にはぜひ参考にしてほしい。宗教はあなたを苦しめるためのものでなく、開放するためのものなのだから。

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