「ほどほど」のススメ

2018年9月9日日曜日

教会生活あれこれ 生き方について思うこと

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これは私の働きです」と言って教会で頑張る人がいます。
 基本的に立派なことだと思います。使命感と責任感を持ち、いつも変わらぬ真摯な姿勢で、長期間その「働き」を続けるならば、それは尊敬に値します。それだけでも、大変なことですから。

 でもあんまり頑張りすぎない方がいいと私は思います。
 熱心な人や原理主義的な人が聞いたら怒るかもしれませんが、頑張りすぎるとロクなことがありません。何でもそうですが、「ほどほど」が一番です。適度にやって、適度に休みましょう。一度にできること、一日にできること、一人でできることには、限りがありますから。

 伝道熱心な人は、こう言うかもしれません。
「今日は10人に福音を伝えました。もう時間も遅くなりました。でもあともう一人にでも福音を伝えられれば、それだけ神の国が拡大します。ここで頑張らない理由があるでしょうか」

 でもそんなこと言ったらキリがありません。11人目の次は12人目が気になるでしょう。その次は13人目が。そして14人目が。今日はもう十分ですから、休みましょうよ。それにクリスチャンはあなただけではありませんし、伝道の責任はあなただけに課せられているのでもありません。
「ほどほど」でいいんです。本当に。

 頑張りすぎてはいけない理由の一つは、頑張りすぎると燃え尽きてしまうからです。
 およそどんなに強靭な人でも、タフな精神の持ち主でも、しつこく食らいつく人でも、頑張りすぎると力尽きます。普通の人より「頑張れる幅」は大きいかもしれませんが、限度を越えて頑張ることはできません。そしていつか必ず限度に達します。

「限度を越えたら休めばいい」と安易に言うかもしれません。
 でも限度を越えるとダメージが大きく、それだけ回復にも時間がかかります。

 私は習慣的にランニングをしますが、毎日続けて走ることはあまりしません。前日の疲労を回復しないまま走っても、あまり有効でないからです。あるいは毎日走るなら、それなりのペースで走ります。毎日フルパワーで限度まで走っていたら、そのうちランニングが嫌いになるでしょう。そしたら本末転倒です。
 つまり「ほどほど」でいいのでなく、「ほどほど」が大切なのです。

 もう一つの理由は、頑張りすぎるとその「働き」に固執するようになるからです。
この働きはこのやり方で進めなければならない
この働きはこうであってはならない
この部分は自分がやらなければならない(他人には任せられない)
 みたいな心境になるからですね。

 ある活動のグループがあって、リーダーとサブリーダーがいました。練習メニューや活動内容はリーダーが決めるのですが、そのうちサブリーダーがあれこれ仕切るようになりました。「こうでなければならない」という思い込みが、強すぎたのです。結果、まわりの人たちが嫌気をさして、だんだん離れていってしまいました。

 もちろん頑張ることだって大切です。人生には「頑張りどき」みたいなものもあるでしょう。でもそれがずっと続いたら大変ですね。ピンポイントだから頑張れるのです。
 つまり、「ほどほど」がいいのです。

「真剣」であることと、「頑張る」ことは違います。
 真剣だからって、いつも頑張る必要はありません。繰り返しますが、頑張りすぎると続かないし、続かなかったら意味がないからです。大事なのはそれを続けることです。そして続けるコツは、「ほどほど」にやることです。
 私はこのブログに対して「真剣」ですが、意識して「ほどほど」にしています。理由はそういうことですね。

 燃えるような熱さは長続きしません。続くのは、内に秘めたじんわりした熱さです(と私は思います)。
 さてあなたの「熱さ」は、どちらでしょうか。

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