教会にいると「信仰が大切です」とか言われませんか。
パウロも最後まで残るのは「信仰と希望と愛」だと言っていますし。
じゃあ信仰って何でしょう。「見えないものを確信させるもの」だと聖書は言っています。イエスの復活を信じられなかった弟子のトマスは「見ないで信じる者は幸いだ」と言われました。つまりそれが起こる前から、見える前から信じておくことが大切なんだよ、と聖書は言っているようです。
ちなみに「信仰」って二種類あると私は思うんです。
一つは「イエス・キリストを神と信じます」といういわゆる信仰告白的なものです。クリスチャンの前提みたいなもの、というか。クリスチャンはイエスを信じているから教会に通うし、礼拝を捧げるし、いろいろ奉仕するのですよね。そういう意味の「告白された信仰」です。
もう一つは、たとえば「この水が葡萄酒に変わると信じます」みたいな、「今」の信仰です。こうなると信じます、ああなると信じますという、言うなれば「現場の信仰」ですね。
私の教会ではこの「現場の信仰」が重視されていました。
たとえば「新しい会堂を建てるように主が求めておられます」と牧師が言います。「信じますか?」と。
そこで「信じません」なんて言える信徒がいるでしょうか。いないですね。新会堂を建てるということは、教会が発展するということですから、いかにも「信仰的」です。それを信じないと言ったら「この不信仰者め!」と叱られそうですし、なんで教会員やってるんだって話になりそうです。
だから信徒も、「新会堂が与えらえると信じます」と言うことになります。
すると牧師はこう言います。「信じた通りになるように、あなたにできることをしなさい」
さて新会堂のために私にできることって何でしょう。献金ですね。たぶん牧師が言っているのもそこです。「金を払え」は信仰的に言い換えると、「あなたにできることをしなさい」になるんです(笑)。
で、信徒の皆さんが頑張って献金をはじめるわけです。
するとどうなりますか。少しずつお金が貯まっていきます。そして時期はわかりませんが、そのうち本当に新会堂が建てられるくらいになります。
さて、晴れて新会堂が設立されました。
牧師は言います。「主が約束通り、私たちに新会堂を与えて下さった!」
信徒一同は「アーメン」とか「ハレルヤ」とか言って、喜んだり泣いたりします。
でもちょっと待って下さい。
その新会堂を建てたのは、信徒一同の献金によるところが大きいのではありませんか。あるいは大部分がそうなのではありませんか。
てことは、それって「主が与えた」んですか。それとも「信徒一同が与えた」んですか。
「お金を積めば新会堂を建てられる」というのは、「見えないものを確信すること」じゃありませんよね。単純な事実ですよね。それを「信仰」って言い張っちゃうんですか。言い張っちゃうんですよね(笑)。
その新会堂が建てられる過程で、登記に1ヶ月かかるはずがなんと一週間で済んだ! とか、知り合いの建築事務所に頼んだら工期がなんと半分になった! とか、そういう「奇跡っぽいこと」を強調して、いかにも「主が導いておられる」ふうに牧師はアピールすると思うんですよね。
でも、せこくないですか。神様の奇跡ってそういう感じなんですか?
最近、新宿のとあるペンテコステ教会が、近くに新しい建物を建てたか借りたかしたみたいですね。よくわかりませんけど。でも内部では同じようなことが行われていると想像します。
あ、よく知らないことをあれこれ言っちゃいけませんね。私に言わせれば、これも「見えないものを確信すること」なんですけど(笑)。
「奇跡っぽいこと」を強調して、いかにも「主が導いておられる」ふうにアピールする・・・これはありがちですね。大きいこと、小さいこと含めてよく聞きます。
返信削除あらゆることは神の主権の基で起きているという点で各自が与えられたもの全てに感謝するのは分かります。しかし、自分の願望が実現したとき神の導きをことさら周囲に強調するのは何か違うと思います。
昔いた教会の日曜礼拝で、ある男性が同じ教会の女性との婚約を発表しました。彼は「彼女に初めて会ったときから私はこの人と結婚するという不思議な主の導きを感じていました・・・」みたいなことを話しました。その時、私の隣にまだその教会に来てまもない人が一言つぶやきました・・「ほんまかいな!」(関西の人だったので)。核心をついてますね。
fuminaruさん風のタイトルで言うと『クリスチャンは「好きだから結婚します』では駄目なのですか?」(笑)
たしかによく聞きますね。先日も知り合いの牧師が「通常1ヶ月かかるビザが、わずか一週間で取れた」みたいな話をしていて、「だから主の導きなんだ」とか言っていましたよ。私は(知り合いなので)何も突っ込まずにおきましたが(笑)。
削除少し前にツィッターで聞いた話です。
あるクリスチャン男性が、「あの教会のあの姉妹と結婚するよう導かれました」と言い出したので、仕方なく牧師がコンタクトを取ってみたそうです。するとその姉妹、既婚者だったとか(笑)。
いったいどういう「導き」だったのでしょうね。
カルト化した教会から出ましたが、未だに精神的に不安定です。
返信削除こちらのブログでリハビリさせてもらっております。
>たとえば「新しい会堂を建てるように主が求めておられます」と牧師が言います。「信じますか?」と。
そうそう!(笑)このフレーズ!
心の中で、「そんなこと神様求めてないと思う…」ってつぶやいてました(笑)
決して口には出せませんでしたケドね。
まぁ確かに、建物が老朽化したり手狭になったりして、建物を新しくする必要がある時もあるでしょうし、また建物を維持するお金が必要なのは分かりますけど…
でも別に建物が老朽化してる訳でも手狭でもないのに、新会堂だのなんだのって。
違うと思いました。
もう最後の方は、献金っていうより、渋々捧げてる渋金でした(神様ごめんなさい)
だから『会堂建築献金』と聞くと、拒否反応が出ますね。
ある主婦の方は旦那さんに内緒で、借金してまで献金してました。
なんというか、献金しないといけない雰囲気なんですよね、そういう時って。
それを「主に○○万円献金するように示された」とか言い出す方がいて。
どっかの公民館とかで、サッと集まって、サッと解散する教会ないかな(笑)
主の御心、主の導き、主に示された、聖霊に聞いた…
ちょっといいことがあると、何でもかんでも主の御心!ハレルヤ!ですよね。
もう主の御心症候群かよって言いたくなります。
ちょっと悪いことがあると悪霊の攻撃だ!とか。
主も悪霊も迷惑してると思います。
コメントありがとうございます。
削除きっとカルト化教会で大変な思いをされたのでしょうね。ゆっくりリハビリしていただければと思います。
それにしても変な教会に限って「会堂設立献金」をしたがりますね。どれだけ拝金主義なのでしょう。でもそれを真に受けて、借金までして献金してしまう信徒さんもいますから、これはもはや牧師だけの問題じゃないんだなとも思います。根が深い問題ですね。
もし匿名さんがまだ教会に行きたいとお考えでしたら、一度カトリックに行ってみることをお勧めします。私個人は、はじめからカトリックに行ってれば良かったかな、と思ったりします。
管理人様、レス感謝です。
削除21日の匿名です。
カトリックに一回行ってみようかな…
今は、あの活動力はどこに行ったのか?って位に深海魚のようにじっと暮らしています。
カルト教会も困りますが、最近はカルト化教会も大いに問題ありですよね。
もうキリスト教とか教会とか、牧師とか…名乗ってほしくないです。
別の名前で名乗ってもらいたい、でないと何にも知らない人は騙されてしまいますから。
今は深海魚のようであり、また気の抜けた風船のようにしぼんだ状態ですが、カルト化教会で熱中していた時には立ち止まる暇さえありませんでしたが、よくよく考えてみれば、こうして健康で毎日暮らせることこそ奇跡か、なぁ、と。
これこそ主が与えて下さったものだと思って、感謝な心になりました。
深海魚のようにじっと暮らしている、という感覚、よくわかります。
削除一般社会に馴染もう、戻ろうとする期間なのだと思います。文字通りリハビリ期間ですね。
その期間がどれくらい続くかわかりませんが、深海魚のようであったり、気の抜けた風船のようであったりするのは、全然問題ありません。心の向くままに過ごされたらいいのではないかなと思います。
私はカルト化教会を抜けてから、ちゃんと睡眠できるようになり、食事に気を使うようになり、身だしなみを整えるようになり、定期的に運動するようになり、誰かと遊びに行くようになり、という感じで、徐々に「自分らしさ」を取り戻したような感じです。まだその過程かもしれませんが。
おっしゃる通り、教会を抜け出せたことが本当の奇跡であり、恵みであるのかもしれません。
カトリックのミサは出入り自由で、誰にも声を掛けられず、誰にも気にされませんから、とても気楽です(教会によって多少違いがあるかもしれませんが、基本的に同じだと思います)。私は初めてミサに行った時、まさに「目から鱗」でした 笑
もちろん無理に行く必要はありませんから、気が向いた時、元気が戻ってきた時でいいと思いますよ。