9月の自助グループのご報告

2018年9月22日土曜日

自助グループ

t f B! P L
 本日9/22は第1回目の「自助グループ」を開きました。キリスト教カルト被害に遭った方、教会で傷ついた方、それがキッカケで教会を離れた方、クリスチャンを辞められた方などを対象とした自助グループです。

 初回の今日は、銀座のレンタルスペースで行いました。それまでは(自助グループの前段階として)喫茶店でミーティングを行なっていましたが、話しやすさが格段に向上しました。やはり静かでプライベートが守られる個室は、自助グループには必須だな、と実感しました。
 ですから来月以降も、レンタルスペースを利用していく予定です(興味のある方、どうぞ気軽に参加してみて下さい)。


 自助グループで話し合われた内容をここに書くことはできませんが、一つ私の印象に残った事実がこれでした。
教会を離れたくても、離れられないと思っている人たちがいる

 教会のあれこれが嫌で嫌で仕方がない。疑問が拭えない。ぶっちゃけ辞めてしまいたい。と思っていても、辞められない。
 そういう人が多いのですね。
 考えてみれば、私もそうでした。

 その理由はいろいろあると思います。
 たとえば、教会を離れたら「地獄」に堕ちてしまう、と脅されているケース。
 あるいは「地獄」とまで言わなくても、神に対する「罪責感」が増幅されているケース。
 あるいは教会スタッフとして組み込まれているから、今更離れられないというケース。
 あるいは長年所属してきただけに、離れたら行き場がなくなってしまうというケース。

「属すべき教会が主によって定められている」と脅されるケースもあります。

 でもよく考えてみますと、神様は私たちを縛り付ける方ではありません。詩編の言葉を借りるなら、神様は私たちを「緑の牧場に伏させる」方です。縛る方でなく、解放する方です。

 だから私たちは、教会で奴隷のように働かなくていいのです。牧師の理不尽に従わなくていいのです。「訓練」と称する「虐待」に耐えなくていいのです。教会の同調圧力に屈しなくていいのです。「クリスチャンかくあるべし」なんて無視すればいいんです。

 もちろん最低限の礼儀や常識は必要です。でも逆に言えば、それさえ守っていればいいのです。クリスチャンだからこう、ノンクリスチャンだからこう、なんて違いはありません。皆同じです。クリスチャンだから特別ということはありません。

 だから教会を離れたいけど離れられないと思っている方、離れていいんですよ。離れたって地獄に堕ちるわけではありません。神様が悲しむわけでもありません。居場所はほかにも沢山あります。

 と、そんなことを考えさせられた、初回の自助グループでした。

 自助グループは毎月1回、土曜日の午後に行っています。場所は東京都内、おもに東京駅周辺に設定しています(遠方から来られる方が少しでもアクセスしやすいように)。
 ブログ上では証明できませんが、怪しい会ではありません(笑)。何の強制もなく、勧誘もありません。ただ参加された方がリラックスできて、話したいことが話せる場にしたい、ということしか考えていません。

 興味を持たれた方は、メール fuminaru#gmail.com(#を@に変えて下さい)までご連絡下さい。次回の日程等、お知らせします。

QooQ