本日9/22は第1回目の「自助グループ」を開きました。キリスト教カルト被害に遭った方、教会で傷ついた方、それがキッカケで教会を離れた方、クリスチャンを辞められた方などを対象とした自助グループです。
初回の今日は、銀座のレンタルスペースで行いました。それまでは(自助グループの前段階として)喫茶店でミーティングを行なっていましたが、話しやすさが格段に向上しました。やはり静かでプライベートが守られる個室は、自助グループには必須だな、と実感しました。
ですから来月以降も、レンタルスペースを利用していく予定です(興味のある方、どうぞ気軽に参加してみて下さい)。
自助グループで話し合われた内容をここに書くことはできませんが、一つ私の印象に残った事実がこれでした。
「教会を離れたくても、離れられないと思っている人たちがいる」
教会のあれこれが嫌で嫌で仕方がない。疑問が拭えない。ぶっちゃけ辞めてしまいたい。と思っていても、辞められない。
そういう人が多いのですね。
考えてみれば、私もそうでした。
その理由はいろいろあると思います。
たとえば、教会を離れたら「地獄」に堕ちてしまう、と脅されているケース。
あるいは「地獄」とまで言わなくても、神に対する「罪責感」が増幅されているケース。
あるいは教会スタッフとして組み込まれているから、今更離れられないというケース。
あるいは長年所属してきただけに、離れたら行き場がなくなってしまうというケース。
「属すべき教会が主によって定められている」と脅されるケースもあります。
でもよく考えてみますと、神様は私たちを縛り付ける方ではありません。詩編の言葉を借りるなら、神様は私たちを「緑の牧場に伏させる」方です。縛る方でなく、解放する方です。
だから私たちは、教会で奴隷のように働かなくていいのです。牧師の理不尽に従わなくていいのです。「訓練」と称する「虐待」に耐えなくていいのです。教会の同調圧力に屈しなくていいのです。「クリスチャンかくあるべし」なんて無視すればいいんです。
もちろん最低限の礼儀や常識は必要です。でも逆に言えば、それさえ守っていればいいのです。クリスチャンだからこう、ノンクリスチャンだからこう、なんて違いはありません。皆同じです。クリスチャンだから特別ということはありません。
だから教会を離れたいけど離れられないと思っている方、離れていいんですよ。離れたって地獄に堕ちるわけではありません。神様が悲しむわけでもありません。居場所はほかにも沢山あります。
と、そんなことを考えさせられた、初回の自助グループでした。
自助グループは毎月1回、土曜日の午後に行っています。場所は東京都内、おもに東京駅周辺に設定しています(遠方から来られる方が少しでもアクセスしやすいように)。
ブログ上では証明できませんが、怪しい会ではありません(笑)。何の強制もなく、勧誘もありません。ただ参加された方がリラックスできて、話したいことが話せる場にしたい、ということしか考えていません。
興味を持たれた方は、メール fuminaru#gmail.com(#を@に変えて下さい)までご連絡下さい。次回の日程等、お知らせします。
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