・リーダーの資質
ジャーナリストの江川紹子さんの上記の記事が、なかなか本質を捉えているのではないかと思いました。べつに当ブログで政治的見解を述べるつもりはありませんが。
ただ記事を読んで「なるほど」と思ったのが、オバマ元米大統領の「みんなの大統領になる」という発言を引用し、では安倍さんはいったい「誰のための」首相なのか、と言及している点です。
なんか日本国民には、「私たち」と「こんな人たち」という区別があるみたいですね。
一国のリーダーだけでなく、「リーダー」と呼ばれる存在には、たぶん同じような話がついて回ることでしょう。リーダーを批判する人間、攻撃する人間であっても、リーダーにとって守るべき存在に変わりはない、という話です。議論の場でいくら争ったからと言って、相手が恒常的な「敵」というわけではありません。もちろん「扱いづらい相手」だとは思いますが。
ともあれ、リーダーの「資質」は、人をどう扱うかにかかっていると言えるでしょう。特に自分に対して反抗的・批判的な人をどう扱うかに、如実に現れると思います。
・資質のないリーダーが組織を壊す
キリスト教界でも同じようなことが言われます。
プロテスタントの一部では、「牧師の資質」という話になります。「資質」と言ってもいろいろあると思いますが、中でも大切なのが「人格」とされています。
そのわりに、人格的にどうなんだという牧師が多いような気がしますが。
ある時、某キリスト教団体にいろいろトラブルがあって、組織もリーダーを一新しようという話になりました。それで新しい役員が何人か決まり、その中でリーダーを選ぶことになりました。
その時ふさわしいと思われたAさんが、リーダー候補でした。と言うかほぼ決まりでした。一応挙手をして、決を採りました。するとBさんだけが挙手しませんでした。彼はAさんをリーダーにしたくなかったのです。しかし多数決の原則に従い、結局Aさんがリーダーになりました(もちろんBさんはわかっていたのですが、あえて反対したのです)。
そうして団体は一新され、新しいスタートを切りました。はじめは特に問題なく見えました。しかしだんだんうまく行かなくなり、役員たちは何度も話し合うことになりました。するとリーダーのAさんは次第に、議論の中で、「Bさんは私を選ばなかった」という選出時の恨みを言うようになりました。それで役員の中で対立が起こり、Bさんは難しい立場に立たされました。
つまりAさんの中で、「自分を選んでくれた人たち=私たち」対「自分を選ばなかったヤツ=Bさん」という対立構図が形成されたわけです。上記の安倍さんと同じような感じです。
それから紆余曲折ありましたが、全部省いて、結局その団体はうまく行かなくなり、解散することになりました。結果論ですが、Bさんの判断が正しかったのかもしれません。反対者(Bさん)をうまく扱えなかったAさんには、リーダーの資質が欠けていたのかもしれません。
まあ過ぎた話なのですが。
・大らかなリーダーであってほしい
安倍さんの「こんな人たち」発言で、そんな昔話を思い出した次第です。
リーダーとなる人には、賛成も反対もうまく包み込むような、大らかさがあってほしいものだと思います。私個人はそう願ってやみません。なにも一国のリーダーだけの話でなく、いろいろなグループや集団に言えることですが。
あなたの教会のリーダーはどうでしょう。反対者をあっさり切り捨てるような人でしょうか。自分に意見する人を個人的に攻撃する人でしょうか。そうでないといいのですが。
職場でもそうですね。上司や先輩やリーダーが、不必要な対立構図を作る人だと、面倒臭いことになります。良い上司に恵まれているでしょうか。上司如何で働きやすさは全然変わりますね。
何にしても、上に立つ人たちが、それに従う人たちの運命に大きく影響するのは間違いありません。だから従う人たちにリーダーを決める(選挙のような)権限があるなら、慎重に選ばなければなりません。もっとも多数決という原理には、如何ともし難い部分がありますが。
どの団体もそれなりの多様な方々が参加されているわけで、団体である限り、役割分担がなされていますね。その際のリーダーに必要なことと言えば、任せたのであれば見守り責任はリーダーがとるということが大切ですね。任せられないのであれば、自分がやれば良いのです。昔、ある集会があって、AリーダーがBさんに写真撮影を頼みました。Bさんは頼まれて写真を撮ったわけですが、AリーダーはBさんの写真にあれこれケチをつけました。怒ったBさんは、これから私に写真撮影を一切頼むなと言ったことを思い出しました。頼むであれば任せよ、任せたのなら文句は言うな、リーダーの素質ですね。
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