教会で奉仕を頼まれたら、やりたくても一旦断ってみることをお勧めしたい。断っても態度が変わらなければ良い教会だと分かるから。もし断って「できない理由を探してはいけない」とか「やってもないのにできないと言ってはいけない」とか「私を強くして下さる方によって何でもできると書いてある」とか言ってきたら、コントロール・フリークな教会だ。早く離れた方がいいと思う。
後者の教会は何がなんでも信徒に奉仕させようとする。「奉仕をしない者はクリスチャンとしてふさわしくない」とか、「せっかく主に贖われたのにその恩に報いないとはどういうことだ」とか、「それでは主を悲しませてしまう」とか、脅迫めいたことさえ言う。結局信徒を活動要員としてしか見ていないのだ。口では愛だ何だと言うけれど、蓋を開ければ能力主義と功利主義で、信徒を逐一評価している。
聖書の教えにビジネス系啓発本の内容を絡めてくるのも、この手の教会の特徴だ。例えば「教会活動をにPDCAサイクルを取り入れる」とか、「見てくれより実を取るマインド」とか、「教会成長を成功哲学で考える」とか。一見斬新なことを言っているし、停滞気味のキリスト教界において革新的に見えるけれど、実のところカルトとの親和性が高い(既にカルト化しているかもしれない)。そういう教会の指導者が魅力的だったりカリスマ的だったりするのも、注意すべき点だ。人が人に心酔するのは、都合よく利用されてしまうことに繋がっている。カリスマ指導者は見目麗しかったり、言葉に説得力があったりで、人の心を動かすのが上手い。しかし注意してほしい。その言葉の大半はハッタリなのだ。壮大なことばかり言う人がいたら、まずは疑ってかかってほしい。
まとめると、「聖書を使って人に行動を強制する」時点でアウトだと言える。どれだけ綺麗なことを言っても、それらしく聖書を語っても、その一点のみでヤバい指導者であり、ヤバい教会だ。
以前、東京都内のプロテスタントの教会へ通っていましたが、コロナ禍がきっかけで近隣の教会へ転会しました。転会したものの、牧師夫人による奉仕の強要に遭い、教会に行くのが嫌になり教会籍を抜いてもらいました。今は自宅でネット礼拝を捧げたり、聖書を読む日々を送っています。いつかまた教会へ行きたい気持ちもありますが、教会の人間関係等にも疲れましたので、暫くは教会へ行くのは控えます。
返信削除もっと早くこちらの記事を読んでいたら、すぐに転会しない選択肢があったのかもしれません。今となっては仕方ないですが。これから先の事はわかりませんが、主に祈りつつ委ねています。
コメントありがとうございます。大変な思いをされましたね。
削除私も長い間「信仰はあるし礼拝したいけれど、教会には行きたくない」という状態が続きました。
ある程度の期間、教会と距離を置くのも必要かなと思います。
コメントいただき感謝致します。返信が大変遅くなってしまい申し訳ございません。
削除幸い、母教会の信徒の方と繋がりがありますので、何とか信仰等は守られている気がします。いまだに人との交わりをしたい気持ちとしたくない気持ちがあり、教会で奉仕をしなければ、また信徒達から嫌がらせをさせるのではないかと思うと、暫く教会へ行くのは控えた方が良いのではないかと思っています。
いつか心から喜んで通える教会が見つかるようにと主に祈りつつ委ねています。