「もうすぐ世が終わる!」と聞いた集会の帰り、駅から街を眺めながら祈った。「もうすぐ何もかも崩壊します……。どうかこの街の人々を憐れんで下さい」
上目線な祈りだった。その約10年後、同じ駅に立って、少し変わった街を眺めながら「憐れみが必要なのは自分だったな……」と呟いた。私こそ哀れな存在だった。根拠なく「何でも分かっている」と思っていたのだ。
「世の終わりだ!」と教会の中で騒ぐだけならまだいい。けれど「だから貯金は要らない。献金しよう」とか、「だから学歴は要らない。献身しよう」とか、「だから最長ローンでマンションを買おう(返済しなくていいから)」とか他人に勧め出したら詐欺になる。言う側も言われる側も気をつけてほしい。終末思想に踊らされると、騙す者か騙される者になる(あるいはその両方になる)。
「世の終わりが近い」と豪語するクリスチャンが100回くらい読み直した方がいいのが、イエス・キリスト自身が「その日(世の終わりの日)は誰も知らない」と言っていることだ。神の子が「知らない」と言っていることを、なぜあなたは「近い」とか「もうすぐだ」とか言えるのか。
クリスチャンになって日が浅い人に伝えたいのは、
「世の終わりが近いです!」
「イエス様を迎える準備はできていますか?」
「絶えず目を覚まして祈っていましょう!」ac
「再臨に備えて下さい、手遅れになる前に!」
などの言説は全て「脅し」だということだ。信仰的に聞こえるかもしれないけれど、実は陰謀論と変わらない。ろくに根拠がなく、人々の恐怖心や不安感を煽るのを目的としているからだ。どれだけ聖書に書かれていることでも、界隈で声高に言われていることでも、どれだけ信頼できる「先生」が言うことでも、「不安や恐怖を煽る」やり方はキリスト教信仰として間違っている。
似た話で「◯◯すると主を悲しませてしまいます」とか「◯◯しなければ主を喜ばせられません」とかいうのも脅しの一種だ。神様が何で悲しんで何で喜ぶかなんて、実のところ誰にも分からない。そういう言い方をするのは、あなたの行動をコントロールしたいからに他ならない。信仰は他人をコントロールするためのものではない。
「終わる」はずが「終わらなかった」世界に生きる者として、私はこのことを切に伝えたいと思う。