人に優しいキリスト教? 人に厳しいキリスト教?

2020年4月25日土曜日

教会生活あれこれ

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 人に優しいのがキリスト教だと思ってる人と、人に厳しいのがキリスト教だと思ってる人とで、話が合うはずがない。また自分は前者だと思ってる後者もいて、人を追い詰めておいて愛だなんだと言う輩もいる。余計に話が噛み合わない。

 人に優しいキリスト教を信じる人。
 人に厳しいキリスト教を信じる人。

 同じキリスト教で括られてるからこそ、余計に互いの違いが許せず、互いに間違いを正してやらねばならん、となっているのが現在のキリスト教の一側面なのは間違いない。
 時々激しい論争、というより罵り合いをしているのを見ると、クリスチャンって怖いなあと思う。

 少し前も(一例として)「同性愛指向は罪などではない」と言ったら、「聖書は同性愛を忌むべき罪だとはっきり言っている」みたいな意見が飛んできて、こりゃもう一生平行線が続くんだろうなと確信してガックリした。同じキリスト者だけど、真逆の考え方をする。クリスチャンのみんなはこういう現実をどう受け止めているのだろう。

 知人は「教会は自分に死ぬ道場だ」と聞いたことがあるそうな。道場で訓練を受けるイメージなのだろうか。しかしキリスト教会が訓練道場だとしたら、一体誰が行きたがるだろう。むしろ痛めつけられた人が憩いを求める場所だと思うのだけれど。

 また癌治療を受けている人が、副作用がキツいと言ったら「それは自己憐憫に過ぎない」と答える牧師がいたそうな。
 なぜ、人の痛み苦しみに寄り添えないのだろうか。
 個人的な苦しみを思い切って打ち明けたのに、「それは自己憐憫だ」とか「イエス様の苦しみに比べたらそんなの何でもない」とか言われるとしたら、教会って何するところなの? と本当に不思議に思う。

 人に優しいキリスト教と、人に厳しいキリスト教。あなたはどちらを信じるだろうか。

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