2017年4月3日月曜日

【書評】『教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら』

・教会と同性愛(性的マイノリティ)


 アラン・A・ブラッシュ著の『教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら』を読みました。内容はまさにタイトルの通りです。

 原著は1995年のものですが、日本語訳が出版されたのは2001年です。かなり古いです。しかし内容においては、今も変わらず必要とされているものだと私は思います。

 教会と言っても様々なので、当然ながら、一概に何かを言うことはできません。しかし同性愛(性的マイノリティ、あるいはLGBTという表現の方が適切かもしれません)というテーマにおいては、各教派内、各教団内、各教会内で、十分な話し合いが行われてきた、あるいは行われている、とは言えないだろうと思います。むしろその話題を避けるか、あるいは自分たちにはさほど関係ない事柄だと考えている、というのが大方の現状ではないでしょうか。少なくとも、私の体感ではそうです。
(ただし日本基督教団は、性的マイノリティの方を正式に牧師として任命しています。これは教団教派によって差異が大きいと思います。)

 そのように、ほとんど話し合いがなされていない結果、本書のような20年前の内容が、今なお必要とされているのだと思います。

 たとえばですが、以前、こんなことがありました。

 ある教会(聖霊派)のクリスチャン中高生の集まりで、たまたま性的マイノリティの話題になった時のこと。ある学生が、当然のようにこう言いました。「同性愛って罪でしょ?」
 私はこう尋ねてみました。「なんでそう思うの?」
「だって聖書に書いてあるし」
「聖書のどこに?」
「それはえっと・・・」

 単純に、同性愛=罪と考えているのでした。なんの疑いもなくです。だから平然と「罪だ」言えるのです。それを当事者が聞いていたらどうするのか、という配慮もありません(学生にそこまで求めるのも酷だと思いますが)。
 ただ、どうして罪なのか、という根拠がないのでした。牧師がそう言ったのを、何となく覚えていたのかもしれません。あるいはそういう「雰気」を感じていたのかもしれません。いずれにせよ自動思考的、あるいは思考停止的に、そのように判断しているのでした。


 しかしそれは学生だけの話でなく、同教会(というか同教派)の成人にも言えることでした。みんな単純に、罪だと考えているのです。というか正直ところ、そこまで考えていないのです。
 性的マイノリティに関するニュースは、最近になって増えてきた印象があります。しかし大々的に注目されているわけではありません。まして教会内で積極的に話題にされるテーマでもありません。だからそれに対する考察とか、話し合いとか、祈り会とかが教会内で行われることはほとんどないと思います。

・性的マイノリティについて話し合われない理由は

 では何故そうなのでしょう。理由はいくつかあると思います。

 一つは、性的マイノリティの信徒がいない、という教会が少なくないからだと思います。あるいは本人が表明していないだけで、潜在的にはいるのかもしれませんが、表明されていない以上「いない」と認識されるのは同じです。
 いないから、そもそも問題にならないというか、議論にならないのです。つまり、差し迫った必要を感じていないのです。当事者を見たことがなく、実感もなく、自分と関係付けることができない、という人は少なくないと思います。

 日本の教会の平均会員数は、30~40人程らしいです。一方で性的マイノリティの人口比率は7.6%とのことです(電通調べ)。ということは、30人くらいの集団であれば、その中に性的マイノリティの方が(確率的には)2人くらいいることになります。そう考えると決して少なくない数なのですが、やはり少数であることに変わりはありません。結果を恐れて表明できない人は少なくないと思います。あるいはそもそも(批判を恐れて)教会には行けない、という人がいるのではないでしょうか性的マイノリティに対する考え方を公式に表明していない教会が多いので、そこで自分が受け入れられるかどうかわからない、でも直接的に尋ねるのも憚られる、という人いると思います。

 理由の二つ目は、教会で性に関する話題がタブーのように扱われているから、だと思います。性的マイノリティだけでなく、異性愛における恋愛や性教育についても積極的に話されません。これは教団教派によって違うのかもしれませんが詳しい方がいれば教えていただきたいです)。
 私が知っている限りでは、恋愛や性教育について系統的に、継続的に教えている教会はほとんどありません。そんなものは教会活動とは関係ない、という意見さえあります。でも若い人が多い教会では絶対的に必要になると思うのですが、どうなんでしょうね。

 とにかく話題にされないので、当然ながら性的マイノリティに関する知識は、教会に何年通ってもまったく増えません。関心のあるは個人的に勉強するしかない、というような状況です(性的マイノリティの人々の定期的な集会は、わずかながらありますけれど)。

 理由の三つ目は、これは一部の教派の話になりますが、初めから「性的マイノリティ=罪」が決定事項とされていて、覆されようがないからだと思います。次回紹介するいくつかの聖書箇所から、彼らは「性的マイノリティ=罪」と認めています。だから(彼らには)もう話し合う余地がないというか、考える必要性がないのです。もう終わってしまった話のです。
 でもそれはただの教義的判断というより、もっと感情的なものに由来している気がします。彼らが性的マイノリティの人々を毛嫌いし、忌まわしいものとして扱っているからです。ハリウッド映画『キングスマン』でアメリカ南部の教会が登場しますが、あれはその典型だと思いますね。「同性愛者は地獄へ堕ちろ!」と牧師が叫んでいますから(多少コミカライズされているとは思います)(同映画の紹介記事はこちら)。

・本書を紹介する目的

 他にも理由はあると思いますが、とにかくこれらの背景があって、性的マイノリティに関する話し合いがほとんどの教会ではされていないと私は考えます。だから当然、性的マイノリティに関する理解も進みません。また体感的には「同性愛=罪」とする教会が少なくないですし、はっきりそう表明していなくても「雰囲気」的に(あるいは暗黙のうちに)そう考えている教会も少なくないですから、全体として、その手の話題が取り挙げられない風潮はあると思います。そしてその手の教会の多くの信徒は、「なぜ罪だと考えるのか」の根拠を、明確に持っていないのです。

 だから、繰り返しになりますが、約20年に書かれた本書の内容が、今もって新鮮に見えてしまうわけです。
 本書は、「性的マイノリティは罪ではない」という立場から「だけ」何かを主張しているわけではありません。それが罪だとしたら、どうしてそう考えるのか、という根拠に踏み込んでいます。そしてそれらの根拠の「欠け」を提示しています。だから著者自身が言っている通り、「討論を手助けし、促進する」ための書籍であると言えます。話し合うべき事項を挙げているわけです。

 私はこれまでも何度か書いてきた通り、「性的マイノリティは罪ではない」という立場です。私自身は異性愛者ですが、それ自体は何の関係もないと考えています(マイノリティの方々はそうは考えないかもしれません)。
 だから上記のような教会の状況は本当に残念ですし、性的マイノリティに関する理解が広がってほしいと願っています。本書をここで紹介する意図は何よりそこにあります。

 今回は本書の内容にほとんど触れませんでしたが、次回紹介させていただく予定です。

 翻訳者が解説で書いていますが、若干読みづらい、わかりにくい文章が多いです。でも140ページ程なので、じっくり読んでいけば良いかと思います。 少し高いのですが・・・。

1 件のコメント:

  1. そういえば新興宗教系プロテスタントの人って、飲酒喫煙や同性愛といった個人の問題(他者に迷惑をかけているわけでもないので要するにどーでもいいこと)を「罪だ」といいますよね。
    私から見れば、焼香拒否等の狂信的な戒律で夫婦仲が悪くなって離婚してしまったり、什一献金をし続けた結果、子供の教育費が足りなくなって子供の進学に支障をきたすことのほうが、どうみても「罪だ」と思うんですけど・・・

    新興宗教系プロテスタントの教会では、やたら「リバイバルを起こそう」となって、勧誘ノルマやイベント動員ノルマを信者に課し、信者はそのノルマのために必死になっていますが、彼らの期待に反して信者になる人がほとんどいないのは、彼らの感覚のズレにあるのではないかと思うのですよ。
    正常な社会生活を送っている人が「罪深い」という感覚を持たないものを、「それは罪深い」と裁きまくる一方で、焼香を拒否して夫婦仲が悪くなろうが、子供の教育費が足りなくなろうが平気の平左でいたりします。

    これでは彼らの教会に人が押し寄せることなんて永遠にないでしょうね。

    だってどこの誰が、酒もたばこもやらずホモは罪だとわめく一方で、焼香を拒否して夫婦仲が悪くなったり、子供の教育費が足りなくなったりする人になりたいんでしょうか?

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