一般の映画で、時々「キリスト教」が描かれることがある。
いわゆるクリスチャン映画でない、娯楽映画でである。キリスト教を中心テーマにした娯楽映画ならもちろんだけれど、そうでないものでも部分的にキリスト教(教会やクリスチャン)が登場するものがある。
と言っても、キリスト教が登場する映画全般の話をここでするのは大変なので、ごく一部に絞る。
いくつかのアメリカ映画で、アメリカの原理主義的教会(あるいはクリスチャン)の様子がチラッと描かれている。ごく短いシーンだけれど、大変興味深いので紹介したい。
一本は2015年の『キングスマン』で、もう一本は2012年の『フライト』。それぞれの「キリスト教シーン」を、簡単に紹介してみる。
『キングスマン』
悪役ヴァレンタインは、人々が凶暴化して互いに殺し合うようになる信号を発信し、世界人口を減らそうとする。その実験場所にケンタッキー州のサウスグレード教会が選ばれ、礼拝説教の最中に、信号が発信される。
その礼拝説教というのが、「America is doomed(アメリカは滅びる)」
牧師「エイズや洪水で人々が死ぬのは神の怒りだ!」
牧師「腐りきった政府は同性愛や離婚や中絶を認めている。それはキリストに背く者の仕業だ!」
牧師「ユダヤ人も黒人も同性愛者も地獄の炎で永遠に焼かれるのだ!」
信徒らはそうだそうだと熱狂しながら聴いている。
ある信徒のセリフはこう。「悪魔を信じる者は血の池で溺れろ!」
『フライト』
飛行中の旅客機が突然故障して急降下する。機長(主人公)の機転で奇跡的な胴体着陸が成功し、乗客102名のうち96名が生還した。副機長は両脚を失ったが、一命をとりとめた。副機長と奥さんは敬虔なクリスチャンである。機長が彼の病室を見舞う。
副機長「事故は運命です。主の裁きです」
奥さん「主をたたえよ」
機長、無言。
副機長「事故は悲劇ですが、祝福でもあります。主の計画に間違いはありません」
奥さん「イエス様をたたえよ」
副機長「事故は悲劇ですが、祝福でもあります。主の計画に間違いはありません」
奥さん「イエス様をたたえよ」
機長、無言。
副機長「機長、共に祈りましょう」
機長、無言。
ごく短いシーンだし、文字を起こしただけだからわかりにくいかもしれないけれど、どちらもクリスチャンを「変な人たち」として描いている。もちろん映画的にわかりやすく(端的に)表現しているというのもあるだろう。しかし私が知る限り、どちらもかなりリアルに近い。あまり脚色とか演出とかいう感じがしない。実際にいそうな人たちである(この日本でも同様にいそう)。
これは何を意味しているかというと、一般人から見て「クリスチャン=変人」ということだ。もちろん教団教派の違いがあり、すべてのキリスト教徒が変人扱いされている訳ではないと思う。ただ『キングスマン』で言えば福音派、『フライト』で言えばペンテコステ派の人たちは、あきらかに「理解できないおかしな人たち」として表現されている。制作側もそう意図している(に違いない)。
それを聞いて、福音派やペンテコステ派の人たちはどう反応するだろうか。「彼らは真実がわかってないんだ」と言うだろうか。「彼らは霊の目が開かれていないんだ」と言うだろうか。まあ上目線にいろいろ言えるだろう。
ただ、一つ忘れてはいけないのは、「彼ら」一般人は自分たちが福音を伝えるべき相手である、という動かない事実だ。変な言い方だけれど、彼ら一般人はクリスチャンのマーケティングの対象なのである。その対象者から「変人」と思われている事実は、真摯に受け止めなければならないのではないか。
伝道をサラリーマンの営業と置き換えて考えると、わかりやすいかもしれない。
営業を成功させるためには、まずターゲットとする顧客の年齢層やニーズを知り、そのニーズを満たすような商品をうまく紹介し、最終的に買ってもらえるように、いろいろ努力しなければならない。また仮に商品がとっても魅力的で、放っておいてもどんどん売れるようなものだとしても、それを売る人間が「変人」であってはならない。営業とは商品だけでなく、それを売るのがどんな人間かというのも大事な要因だからだ。
であるなら、伝道の成功を望むなら、やはり相手から見て「変人」であってはならない。百歩譲って「変人」だとしても、少なくとも「信頼される変人」でなければならない。信頼関係のないところに、福音伝道などあり得ないからだ。
自分が福音を聞いて信じた時のことを考えてみればわかるだろう。話している相手を怪しく思いながらも福音だけは信じた、という人がいるだろうか。信じたとき、少なくとも相手が信頼に足る人物に見えていたはずだ。
■上目線に伝道?
原理主義的なクリスチャンで、上目線な発言を繰り返す人が少なからずいるけれど、私はいつも不思議に思う。そんな態度で、いったいどうやって未信者に伝道するんだろう? いったい誰が耳を傾けるんだろう? と。
あるカルトっぽい牧師はまさにこれである。彼は未信者のことを「ノンクリなんてバカ」と平然と言い放ち、見下していた。彼の教会は最高で百人規模に成長したけれど、未信者から「救われた」という信徒はほとんどいなかった。ほとんどが他教会から流れてきたクリスチャンだった。だから伝道効率で言えば限りなくゼロ。クリスチャンたちを集めて奉仕に駆り立てるだけで、伝道なんてほとんどできていなかった。
それもそのはずだと思う。たとえ未信者に面と向かって「バカ」と言わなくても、普段の教会内での態度が滲み出て伝わるのだろう。未信者からしたら「何コイツ、偉そうに」となるんだと思う。
『キングスマン』の牧師にしてもそうだ。「ユダヤ人と黒人と同性愛者は地獄の炎で焼かれろ」なんて平然と言ってしまう人を信用する未信者なんている訳がない。仮にいたとしても例外中の例外のはずだ。自分たちが何をすべきなのか、何をしているのか、よくよく考えてみなければならないと思う。
■愛の実践とは
ここで紹介したいのがこの記事。
「アメリカが地獄へ行った時」 (ケン・フォーセットさんのブログ)
とても興味深いので、時間のある方はじっくり読んでほしい。
私が特に感銘を受けたのは「ハックルベリーフィンの冒険」の話。ハックは逃亡奴隷のジムを匿ったことを後悔する。奴隷を匿うのは罪であり、「自分は地獄に堕ちる」と考えたからだ。ハックは悩んだ末、ジムの居場所を暴露しようと考える。そして「これで天国に行ける」と安心する。つまり奴隷であり友人であるジムを裏切って売り飛ばすことが「神の御心」だと信じていた。教会でそう教えられていたからだ。しかしジムを目の前にして、やはり「裏切れない」とハックは思う。そして「分かった。俺は地獄へ行く」と決心する。という話。
つまり愛を実践することより、自分たちの生活や権利を守ることが、当時のキリスト教信仰となっていたのである。友人を愛して守ることが「罪」であり、それを裏切って売り飛ばすことが「正義」だったのである。これは19世紀のアメリカの話だけれど、現代もそう変わっていない。先の牧師の言を借りれば、ユダヤ人や黒人や同性愛者を迫害することこそ「正義」となってしまっている。
教会(あるいはクリスチャン)の使命とは何なのかと考えさせられる。愛を実践するとは何なのか。キリストの教えを行うとは何なのか。これを読んで下さった皆さんはどう考えるだろうか。
副機長「機長、共に祈りましょう」
機長、無言。
ごく短いシーンだし、文字を起こしただけだからわかりにくいかもしれないけれど、どちらもクリスチャンを「変な人たち」として描いている。もちろん映画的にわかりやすく(端的に)表現しているというのもあるだろう。しかし私が知る限り、どちらもかなりリアルに近い。あまり脚色とか演出とかいう感じがしない。実際にいそうな人たちである(この日本でも同様にいそう)。
これは何を意味しているかというと、一般人から見て「クリスチャン=変人」ということだ。もちろん教団教派の違いがあり、すべてのキリスト教徒が変人扱いされている訳ではないと思う。ただ『キングスマン』で言えば福音派、『フライト』で言えばペンテコステ派の人たちは、あきらかに「理解できないおかしな人たち」として表現されている。制作側もそう意図している(に違いない)。
それを聞いて、福音派やペンテコステ派の人たちはどう反応するだろうか。「彼らは真実がわかってないんだ」と言うだろうか。「彼らは霊の目が開かれていないんだ」と言うだろうか。まあ上目線にいろいろ言えるだろう。
ただ、一つ忘れてはいけないのは、「彼ら」一般人は自分たちが福音を伝えるべき相手である、という動かない事実だ。変な言い方だけれど、彼ら一般人はクリスチャンのマーケティングの対象なのである。その対象者から「変人」と思われている事実は、真摯に受け止めなければならないのではないか。
伝道をサラリーマンの営業と置き換えて考えると、わかりやすいかもしれない。
営業を成功させるためには、まずターゲットとする顧客の年齢層やニーズを知り、そのニーズを満たすような商品をうまく紹介し、最終的に買ってもらえるように、いろいろ努力しなければならない。また仮に商品がとっても魅力的で、放っておいてもどんどん売れるようなものだとしても、それを売る人間が「変人」であってはならない。営業とは商品だけでなく、それを売るのがどんな人間かというのも大事な要因だからだ。
であるなら、伝道の成功を望むなら、やはり相手から見て「変人」であってはならない。百歩譲って「変人」だとしても、少なくとも「信頼される変人」でなければならない。信頼関係のないところに、福音伝道などあり得ないからだ。
自分が福音を聞いて信じた時のことを考えてみればわかるだろう。話している相手を怪しく思いながらも福音だけは信じた、という人がいるだろうか。信じたとき、少なくとも相手が信頼に足る人物に見えていたはずだ。
■上目線に伝道?
原理主義的なクリスチャンで、上目線な発言を繰り返す人が少なからずいるけれど、私はいつも不思議に思う。そんな態度で、いったいどうやって未信者に伝道するんだろう? いったい誰が耳を傾けるんだろう? と。
あるカルトっぽい牧師はまさにこれである。彼は未信者のことを「ノンクリなんてバカ」と平然と言い放ち、見下していた。彼の教会は最高で百人規模に成長したけれど、未信者から「救われた」という信徒はほとんどいなかった。ほとんどが他教会から流れてきたクリスチャンだった。だから伝道効率で言えば限りなくゼロ。クリスチャンたちを集めて奉仕に駆り立てるだけで、伝道なんてほとんどできていなかった。
それもそのはずだと思う。たとえ未信者に面と向かって「バカ」と言わなくても、普段の教会内での態度が滲み出て伝わるのだろう。未信者からしたら「何コイツ、偉そうに」となるんだと思う。
『キングスマン』の牧師にしてもそうだ。「ユダヤ人と黒人と同性愛者は地獄の炎で焼かれろ」なんて平然と言ってしまう人を信用する未信者なんている訳がない。仮にいたとしても例外中の例外のはずだ。自分たちが何をすべきなのか、何をしているのか、よくよく考えてみなければならないと思う。
■愛の実践とは
ここで紹介したいのがこの記事。
「アメリカが地獄へ行った時」 (ケン・フォーセットさんのブログ)
とても興味深いので、時間のある方はじっくり読んでほしい。
私が特に感銘を受けたのは「ハックルベリーフィンの冒険」の話。ハックは逃亡奴隷のジムを匿ったことを後悔する。奴隷を匿うのは罪であり、「自分は地獄に堕ちる」と考えたからだ。ハックは悩んだ末、ジムの居場所を暴露しようと考える。そして「これで天国に行ける」と安心する。つまり奴隷であり友人であるジムを裏切って売り飛ばすことが「神の御心」だと信じていた。教会でそう教えられていたからだ。しかしジムを目の前にして、やはり「裏切れない」とハックは思う。そして「分かった。俺は地獄へ行く」と決心する。という話。
つまり愛を実践することより、自分たちの生活や権利を守ることが、当時のキリスト教信仰となっていたのである。友人を愛して守ることが「罪」であり、それを裏切って売り飛ばすことが「正義」だったのである。これは19世紀のアメリカの話だけれど、現代もそう変わっていない。先の牧師の言を借りれば、ユダヤ人や黒人や同性愛者を迫害することこそ「正義」となってしまっている。
教会(あるいはクリスチャン)の使命とは何なのかと考えさせられる。愛を実践するとは何なのか。キリストの教えを行うとは何なのか。これを読んで下さった皆さんはどう考えるだろうか。
私が知る限りでは、その様な崇高なイエスの生き方を実践する教会など、この世に存在しません。
返信削除極めて御都合主義であり、自分勝手、我田引水であり、上から目線など日常茶飯事であり、最早趣味の会でしかありません。
どの様な言い訳をしたとしても、人のために世のために生きているクリスチャンと呼ばれる人種は存在していません。
むしろ、彼等が蔑みまくる「この世の」人達の方が、愛と希望、そして生きる事に必死な状況の中にあって、現実を見定めながら雄々しく生き生きと、しかも汚れた現実を理解して受け止める、懐の大きな人達です。
仕事に例えて言うなら、クリスチャンは会社組織内で机に座ってアレコレ偉そうに言うだけの人。
彼等が蔑む「この世の人」は、現実の現場であらゆる事に対応し、自分の知恵を絞り出して、その問題を解決する、勇敢で機知に富む人。
私の勝手な感想です。
信徒の側にも問題があります。
削除成人に達した大人が、家族でもない人間に無理な幻想を抱き過ぎます。
未成年者や、知的障害者のような社会的弱者と世間的に認められてる人以外は、「被害者」にも一定の落ち度はあるケースもあるでしょう。
マスコミ的、政治家的には、「お客さん」である一般の人の落ち度を指摘できないという「民主主義の構造的欠陥」もあるでしょうか?
他人から「愛と夢」を手に入れたければ、TDLやUSJのチケットをお金を出して買わなけれなりません。
欲しがりません、勝つまでは。
返信削除という戦中の日本のようなアメリカ福音派<このブログでは新興宗教系プロテスタント>の信仰。
いまはひどい人生だけど、死後救われて神の国に入れればいいんだ!
という考えは、奴隷解放までのアフリカン系にもあって、
毎週日曜日のアフリカン系バプテスト教会で歌うゴスペルとか、
はたまた行きつけの酒場で友達と呑みながら聞くジャズとかに
人生の喜びをささやかでも感じていたのかもしれませんが。
それが、白人にも広がって、
主の御心に従っていればいいんだ!
講壇から牧師の語る福音や信徒の祈りの共鳴を受け入れていれば、
他の誰かの語る言葉なンか、聞かなくてもいいンだ!
それが新興宗教系なのでしょう。
彼らはあらゆるダンスを禁じているようです。
日本の新興宗教系プロテスタント教会の一部が青年のダンスを講壇でしているというのを、
彼らはどう見ているのでしょうか?
やはり日本人は救われないのさww、とか思っているのかもしれません。
それはさておき、
今回のアメリカ大統領選挙で、
新興宗教系プロテスタントはかなりの高確率でトランプ氏に入れたでしょうねぇ。
なぜかモルモン教会員もトランプ氏を支持していたようですけど。
大都会の市街地を外れたら、牧歌的といえば美しく聞こえますが、
建物が民家とドライブインとレストランとショッピングモールと、
せいぜい古ぼけた教会くらいしかない、
ハッキリ言って無粋な田舎の住民が、
夢よもう一度と、トランプ氏に入れたのでしょうか。
彼らは高確率で古典的創造論者で、
中絶反対者で、酒タバコギャンブルにダンスまで否定する、
クルマと教会の中のレクリエーションしか関心とやることのない、
収入の一割をクソ真面目に教会に捧げる、
素朴だけど、会話の難しそうなひとたちで、
死後は絶対救われると、無邪気に信じていて、
信じない者や教会の指示に従わない者をバカだと蔑むのを
内心楽しんでいるのです。
でも、此度のコトで、よくわかりました。
アメリカには、まだまだそういう人が多いのだと。
侮れないのだと。
最近見始めた海外のドラマなんですが「オレンジイズニューブラック」と言うのが面白いです。海外の女子刑務所の話なんですが、ドラマの中に出てくるクリスチャンの子が、あまりにも妄信的過ぎて周りから引かれる様子がリアルです。少し長いドラマですが、オススメです。もし見た事があるならごめんなさい。
返信削除ドラマの紹介ありがとうございます。
削除アメリカのネットドラマ The Handmaid's Tale(侍女の物語)も面白うです。今のところNetflixでしか見られないですが、そのうち他でも見られればいいなあと思っています。
アメリカ政府が原理主義教会に乗っ取られ、一般女性が家族から引き離されて侍女をさせられる、というお話です。「女は表に出て働くのでなく、慎み深く家庭内で働かなければならない」みたいな価値観によってですね。あり得ない話ですが、「もしアメリカが原理主義教会に支配されたらどうなるか」をシュミレーションした結果みたいです。
すごい!その映画も面白そうですね!Netflix契約してるので探してみます!
削除私の紹介したドラマ、少しネタバレになってしまうのですがすごく印象に残るシーンがあるのですが…。
そのクリスチャンの女の子(元々熱心なクリスチャンと言う訳では無かったみたい。)が、妊娠→中絶をするんです。堕胎手術をした病院の看護婦に嫌味を言われてカッとなり、その看護婦を銃で撃ち殺し刑務所へ。
そして裁判の時にクリスチャン系の弁護士が彼女につくのです。裁判所の中には彼女を応援するクリスチャンで溢れています。彼女は「中絶に反対する為に戦ったヒロイン」として沢山のクリスチャンの憧れの存在になります。
その沢山の人達を見て彼女は「私は神に選ばれた人間なんだ!」と妄信的になっていくのです。
これはもうクリスチャン側の弁護士に「宣伝」として利用されてるよなぁ~と言うのが見え見えなんですが、彼女は気付かないのです。
彼女の刑務所で必要な物のお金は信徒からの寄付等、割りと現実にありそうな感じが面白いです。
Orange is new black も Netflix なんですね。自分は Amazon prime を契約してるんですが、最近の Netflix は面白そうなのが多いですね。
削除紹介して下さったシーン、俄然見たくなりました笑
人を殺しておいて「神に選ばれた」と信じてしまうあたりが、すごくあるあるな気がします。続きが気になりますね。
ところでそういう展開がお好きでしたら、最近DVDでリリースされた映画「夜に生きる」(ベン・アフレック主演、監督)もお勧めです。メインはチンピラの成り上がり物語なのですが、エル・ファニング演じる少女のサイド・ストーリーが面白いです(実はブログで書こうと思っていました)。
ハリウッドで女優デビューしたい少女が、悪徳業者に騙されて薬漬けにされ、売春まがいのことをさせられるのですが、縁あって主人公に助け出されます。で、その悲惨な体験を教会で語ったところ、これが大受けして、一気にカリスマ伝道師に祭り上げられる、というお話です。
既にご覧になっていたらすみません。
いえいえ!見た事ないです!一気にカリスマ伝道師に…って展開。大好物です(笑)
削除私が紹介したのも色々な女受刑者のストーリーがあります。クリスチャンの子の話はその中の一つです。でも刑務所の中には様々な人種、宗教の方がいますからそこのぶつかりや優しさも面白いです。
罪を犯したシスターもいますし、刑務所の中にある教会がぶっ壊れるシーンとか(笑)
シリーズ物で長くなってますが、是非気長に!
http://mainichi.jp/articles/20161019/k00/00m/030/024000c
返信削除大統領選挙でユタ州では、第三の候補者が大善戦しました。
元々、共和党の地盤ですが、トランプ候補の差別主義的言動に嫌悪感を抱いた保守系の有権者がマクマリン候補に入れたみたいです。
民主党の支持者がマクマリン候補に入れる方向にはならなかったみたいです。
ユタ州以外では、第三候補が惨敗するなかで注目すべき事態です。
モルモン教の批判は、溢れてますが、「自称」正統なプロテスタント教団よりましだと思います。(教理的にキリスト教ではないとおもが!モルモン教の教会にゲストとして列席したことがあります。)
宗教の有無や種類によらず、差別に賛成する人もいれば、反対する人もいる、ということでしょうかね。
削除