とある教会が福祉系の事業に着手した。
詳細は書かないけれど壮大な構想を持っていた。当然ながら実現には多額のお金が必要である。けれどうまいツテがあって、出資してくれそうな海外企業に話を通してもらえた。
あとはその企業との直接交渉のみとなり、なんとなく、「これイケるんじゃね?」みたいな雰囲気になった。
ところでその教会に、年輩の男性信徒がいた。彼をCと呼ぶ。C兄弟はその福祉系事業に人並みならぬ情熱を持っていて、実現させる為なら何でもしそうな勢いであった。だから出資してくれそうな企業の話が出た時はたいそう喜んだ。
で、その海外企業の代表者が来日し、交渉の日となった。
メインのプレゼンは牧師がし、合間の接待はこのC兄弟がした。彼がどんな接待をしたのか知らないけれど、「良い関係を築けました」という彼の言葉から判断する限り、成功したようであった。
これを聞いて、教会は大盛り上がりである。結果を見ぬうちから「これは実現できそうだ」とか「これを足掛かりにしてこの事業もあの事業も始めよう」とか、いわゆる「捕らぬ狸の皮算用」に走る始末。
しかし結果はなかなか届かなかった。相手が海外だからというのも関係したかもしれない。けれど1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、さすがに遅いのではないかと誰もが思った。唯一の連絡窓口である牧師も、「まだ返事がない」「大企業とはいえ大金を動かすのは時間がかかるのだろう」とか言っていた。
しかしさらに3ヶ月、4か月と過ぎた。その間にギリシャの金融危機が深刻化し、ヨーロッパ全体に影響が広まる事態となった。牧師いわく、「この金融危機のせいで相手企業もお金を動かせなくなっている。これは回復を待つ以外にない」とのこと。
冷静になって考えてみれば、出資するかしないかの判断に3ヶ月も4か月もかかる訳がない。それに大金と言っても零細教会にとって大金なだけで、多国籍企業からしたらそうではない。仮にお金を動かせなくなったなら動かせなくなったで、連絡をくれればいいだけの話である。
だからこれは何かおかしいと、気付くべきだったかもしれない。
結局半年近くたってから、牧師が言った。「出資しないとの連絡が入った。もう頭の中が真っ白だ」
そしてその理由というのが、こうである。「どうやら相手はC兄弟の接待に不満を持ったらしい」
そんな簡単な理由ならもっと早くにわかったでしょう? というのが普通のツッコミである。けれど当時は誰もそういう風に考えられなかった。牧師はこう続けた。
「でも自分はC兄弟の接待に問題があったとは考えない。たしかにこの事業も大事だけれど、自分にはC兄弟の方がもっと大事だ。だから私はこの出資よりもC兄弟を守る方を選ぶ」
そしてお涙頂戴の感動ショーが始まる。BGMは「神の家族」。
事業よりも、家族が大事だよね?
お金よりも、神の家族が大事だよね?
という訳でお金は一円も入らなかったけれど、代わりに教会の結束が強まった・・・ともならなかった。後日、その海外企業を紹介してくれた人から、こんな話を聞かされた。
相手企業は出資を承諾したのに、牧師が提出書類を期限までに出さなかった。だから出資の話は流れてしまった、と。
出資を受けたら会計報告をちゃんとしないといけないし、当然ながらお金はその福祉事業にしか使えない。自分の自由にならないお金なら面倒だから受け取りたくない、というのが牧師の発想だったと思われる。
てことは、C兄弟に一方的に責任をなすりつけておいて、「でも許してあげます、愛します」みたいな話にしたってこと? つまり自作自演?
もう呆れるとうか、絶句というか。
哀れなのはC兄弟である。一生懸命仕えたのに、あらぬ汚名を着せられ、「感動劇場」に利用され、気の毒と言う他ない。
神様のために教会に仕えるのは良いことだと思うけれど、単に一生懸命なだけだとこういう目に遭うこともあるから、気をつけましょうって話。
「偽証してはならない」を率先して犯しているとは牧師失格ですね。
返信削除このような嘘はどこから思いつくのでしょうか?
私の教会でもある熱心な複数の教会員が辞めた時、「⚪︎⚪︎兄弟が暴言を吐いたからあの方たちは去っていった」とみんなの前で説明があり信じていました。しかし後日、本人たちから聞いてわかったことは「牧師に説教の内容を意見した」ことが元で「よそが合うんじゃないですか」と言われ、その教会員たちは去って行ったとの事。
そして、その真実が教会員に広まった時に牧師が言った言葉が驚き。「暴言を吐いた兄弟を傷つけない為の大人の対応をとったのです」と、あくまでも牧師自身とのやりとりが原因ではないと説明。本人たちが「辞めた理由は⚪︎⚪︎兄弟はまったく関係無い」と言っているのにどこまでも話が変わる不思議。こんなことはどこの教会でもあるのですね。悪者にされた人を貶め入れて罪悪感はないのでしょうか。牧師というより詐欺師と思います。
匿名様
削除コメントありがとうございます。
この手の話は本当に多いですね。牧師の都合の良いように話が変えられてしまい、それを確認する術も少ない、という状況ですからね。
牧師養成の神学校は、ヘブル語とかギリシャ語とか歴史の単位修得より、共感能力や誠実さを身につけるカリキュラムにした方がいい。変にエリート意識ばかりが身につきパリサイ派になっているのは嘆かわしい。
削除牧師、伝道師と呼ばれる教役者というのは、何事にも「責任」ということを常に自覚してほしい。
返信削除日本はキリスト教が広まっていないので基本的な教えを理解していない。だから単立や各個教会主義では牧師から信徒がまんまと騙されやすい。
返信削除本山があるカトリックやルーテルは教理に反することがあると指導にはいるから、デタラメな事はできない。
もちろん本山があっても福音派は文字信仰でトイチですから論外です。
単立はダメ、単立はダメ、と連呼していますが、警戒されてしまうようで悲しいです。
返信削除教派に属していたのですが、どうしてもおかしいということに気づき教会ごと独立し、やむなく単立としてやっている教会もあります。
だからと言って孤立しているわけでもなく、他の様々な教派の牧師と交流を持ってバランスを保つようにしています。
いずれどこかの教派なり宗派なりに所属したいとは思っていますが、今の所見当たらないのです。
そういう小さな教会もあることをお伝えしておきます。
ルーテルはいろいろではないかと思いますが。たとえば西日本ルーテルですが、教会によってかなり違いがあるようで、当たりハズレが激しいので有名なのです。
返信削除当たり教会では什一献金をいうこともなく、したがって献金トラブルはありませんが、ハズレ教会では什一献金をいうので、献金トラブルがよくあるそうです。
西日本ルーテルでは什一献金をいう教会のほうが、お金があるせいか、お金の力にものをいわせてかなり牛耳ってしまうこともあるという・・・。(什一献金をいうハズレ教会は、断ち切りの祈りや霊の戦いを好んでやっている、文字信仰で什一献金の新興宗教系プロテスタントの教会とも親しく交流するということです。)
つまりハズレ教会が大きな顔をして歩き、当たり教会は小さくなっていなくてはならないということなのです。
ルーテル系の宗教団体は、祭壇はあったとしても、教会じたいはカトリックほどしっかりしていませんので、過信してはいけないのではないでしょうか。
日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団は安心と聞きます。西日本ルーテルと近畿ルーテルは危ないところが多いとか。細かな注意が必要ですね。
削除他の教会でも同じですが目印としては
トイチでない、新共同訳使用、パイプ椅子でない、教会名にカタカナがない、ワーシップソングを多用しない、悪霊で脅さない、文字信仰でない、そして戦前からあるなどがポイントですね。