2015年2月21日土曜日

これ言ったら「カルト」フラグ立ちます

 映画やドラマで「死亡フラグ」とされる台詞がある。「この戦いが終わったら結婚しよう」みたいな、それを言ったキャラは遅かれ早かれ死ぬことになる(あるいはその確率が高い)台詞だ。最近はこのフラグを逆手にとった作品もあるけれど、いまだ健在である。例を挙げるとこんな感じ。

・「俺、この戦争が終わったら故郷の彼女と結婚するんだ」→あえなく戦死。
・「戻ったら一杯おごれよ」→戻れない。
・「さあ、さっさと終わらせて夕飯までに帰るぞ」→帰れない。少なくとも夕飯までには。
・「俺はまだこんなところで死ねねー!」→壮絶に死ぬ。
・「こんなのもうイヤ! わたし家に帰る!(と言って飛び出す)」→次に登場する時は死体。

 他にも沢山ある。
 今回はこの死亡フラグを「カルト」フラグに置き換えてみたい。つまりこの台詞を言う牧師やクリスチャンは、カルト疑惑が強く要注意となる(と思う)。もちろん、言ったから必ずカルトという訳でもない。けれどその信仰の姿勢に注意を要するのは間違いない。

■これ言ったら「カルト」フラグ立ちます

・「この集会は聖なる集会です。本当に信じる人だけが参加して下さい」
→彼らの「神」には集会参加の自由がないようです。

・「今から○○のために祈りますが、心を合わせられない人はここで退室して下さい。祈りが妨げられますから」
→彼らの「神」は祈りにも制限を加えるようです。なんか窮屈。

・「(何かのメディアを取り上げて)あれは悪霊の影響を受けているから見てはいけません。見るとあなたも悪影響を受けてしまいます」
→単なる情報統制では。

・「主が今、真の信仰を求めておられます。あなたは今ここで、これを信じますか?」
→その場で究極的な二者択一を迫ってくる。考える時間はもらえない。

・「長時間祈り、賛美し、礼拝することであなたはますます清められます。そして父の御心を知ることができるようになります」
→行為で清められるのではありません。また神の御心は聖書に全部記されています。

・「教会成長に弟子訓練は欠かせません。弟子訓練は神の御心であり戦略です」
→教会内カーストができあがり、権威主義に陥ってしまいます。否定するならあなたが一番下の弟子になってみて下さい。

・「この国のリバイバルのために私(牧師)は全てを捧げています。少しも惜しくありません」
→まずあなた自身が「リバイバル」される必要がありますね。

・「信仰をもって癒しを宣言しなさい。そうすれば必ず癒されます」
→では癒されなかったら信仰がないと? 信じているのに?

・「多く捧げる者は多く刈り取ります。だから多く献金するのは祝福です。どんどん捧げましょう」
→あなたがまずそうして下さい。

・「これは霊的に目覚めていないとわからない事柄です。もっと多くの人が目覚めるように祈ります。」
→寝言は寝ながら言って下さい。

 以上の10項目を全部言ったら、フラグどころではないかも。早急に離れることをお勧めする。

10 件のコメント:

  1. こうやって書き並べると、ほとんど✖️✖️商法ですね。
    ところで、教会が財政的に成り立つのは教会員が何名位いないと無理なのでしょうか。
    私のところは小さくて礼拝出席15名くらいで、いつも献金献金と言われます。
    牧師は子持ちで専任ですのでお金がかかるのはわかるのですが。そもそも、人数を増やすか、ここにあるような終末を煽って大金を出させるかしかないように思うのですが。

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  2. 建物や聖職者の状況によって違いますので、いちがいにはいえないのではないでしょうか。
    建物のローンや子だくさんで子供の教育費がかかる場合は、信者たちは金銭で地獄をみるといわれています。
    カトリックの場合ですが、学校や福祉施設等を運営しており、そこから収入を得ていることが多いと思います。聖職者は出家者で子供の教育費を負担する必要がなく、生活コストが非常に低廉です。300人くらいですと小規模教会とは呼ばれますが、独立採算ではありませんので、聖イグナチオのように1万数千人もいるほどの大きな教会が稼いでいる分があることもあってか、とくに赤字とか財政危機ということはないようで、献金献金といわれることはないと思います。
    お寺の場合ですが、月参りのある地方ですと、宗教専業でやっていけるのは、檀家が最低でも200軒は必要です(もっとも200軒しかありませんと、かなり生活は大変ですので、現実に宗教専業でやっていけるお寺は、檀家が300軒はないと無理ではないかといわれています)。
    月参りのない地方ですと、宗教専業でやっていけるのは、檀家が最低でも500軒は必要になってくると聞いています(もっとも現実には500軒しかないようでは財政的にかなり大変になりますので、やはり600軒とか700軒とかない限り、宗教専業には踏み切れないでしょうが)。
    お寺の兼業率は決して低くはありません。とくに地方では過疎で人口が減っていますので、お寺の兼業率は上がっていく一方です。夫婦共稼ぎでお寺の仕事は年寄夫婦が主としてやっており、息子夫婦がお寺の仕事にタッチするのは定年になってからというお寺もよくあります。(一説にはお寺の70%近くがサラリーマンと兼業といわれています。)
    神社の場合ですが、これは宗教専業でやっていけるのはよほど大きな神社だけでしょう。それこそその土地でも大きなお祭りがあるので有名な神社とか、初詣に大人数の人が参拝に来るので、毎年地元の新聞やテレビに取り上げられるような神社くらいのものではないかと思います。つまり日本の神に仕えている神職の9割以上は、サラリーマンと兼業でやっているということを覚えていてください。
    モスクの場合ですが、イスラムの聖職者は完全にボランティアであって、職業としてやっているわけではありませんので、ムスリムはそもそも聖職者一家の生活費や子供たちの教育費を賄う義務は一切ありません。

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  3. 匿名様
    詳しいお話をありがとうございました。
    そういえば子どもの頃、学校の先生は神主や僧侶を兼ねている方がいました。
    キリスト教会は牧師に兼業を勧めると周りから白い目で見られます。伝導や説教準備で忙しいのだとやり込められてしまうので、誰も言い出せず。牧師先生に苦労かける私たち信徒の全責任です、祈りますと謙虚そうに振る舞うしかありません。
    それにしても年間の献金収入をこれ以上どう負担しろと言いたいのかと思います。
    牧師の魅力やそれこそ本当に伝道を日々してくれたらと思うのは私だけでしょうか。
    思うに礼拝出席50名以上、献金が年間で500万以上ないと無理ではないでしょうか。

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  4. 皆様の御投稿を拝見しまして、本当に教会って何だろう?( ・∇・)と改めて、考えさせられました。
    牧師を養うためにあるのなら、解散すべきです。他宗教(新興や新宗教を除いて)に学ぶべきです。
    ワザワザ借金してまで会堂が必要でしょうか?( ・∇・)それのためにまた、献金献金献金。一年間に稼働する回数を考えて欲しい。礼拝と祈祷会でせいぜい108回(除夜の鐘?)程度です!
    維持費や諸費用を考え合わせると、公的な集会所を借りた方が良いのでは?( ・∇・)
    大教会ならまだしも、その108回のうち一日の稼働時間は?( ・∇・)
    何れは古くなり改装が必要になります。またそのための献金献金献金。屋根の塗装に外壁補修塗り替えで150万掛かります。
    積雪寒冷地は屋根の雪降ろしに、駐車場の除雪に、建物回りの雪よけに、お隣の迷惑になるから音を控えて、駐車場も入りきらないから何処かにお金を払って停めてきて。
    全く無駄な事を繰り返しているとしか、考えられませんね。
    サラリーマン。家を1軒維持していくだけで精一杯。まるでもう1軒の家を持ち、自分の家より優先してそのために生活している様なもの。
    冬になると生活環境が一変する積雪寒冷地。
    家の事だけで大変なのに、日曜の朝から教会のためにやってられませんね。

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  5. さまざまな理由で忙しいという聖職者の論法が理解できません。それならイスラムの聖職者をみならえばいいのではありませんか?イスラムの聖職者は毎日毎日朝から晩まで額に汗して働くかたわら、さまざまなモスクの仕事や説法の原稿を書いて多少は練習をして、金曜日の夕方からはモスクでの説法にのそんでいます。世俗の労働をすると何もできなくなるというのは明らかにおかしな話です。
    カトリックの場合は、神父・修道士・修道女はほとんど学校や医療施設や福祉施設の職員として毎日朝から晩まで働いています。私の街にあるカトリック教会も学校を運営しており、神父と修道女は毎日学校の教職員として働いています。給料は教会からではなく学校から出ていると思います。なぜならその教会が運営する修道会は、神父にも修道士にも修道女にも給料を出さない修道会だからです。(修道会によっては月数万ほどの給料を出すところもあります。)
    ここで簡単にカトリックの神父について説明しておきますと、修道司祭と教区司祭の二種類がいます。前者は前述の通りで修道会がすずめの涙ほどの給料を出すところもあれば出さないところもありで、後者は教区から給料が出ますが月に二十万も出ればかなりの高額所得者ではないかと聞きます。もちろんほとんどの神父や修道士や修道女はこれだでは自分個人の慈善活動等をやっていく上では足りないので、世俗の労働をしている人も多いのです。多摩教会の晴佐久神父のように著作でかなりの収入がある人もいますが、すべての人がカリスマ神父になれるわけではありません。電気工事の仕事をしている神父や、中南米では孤児院の費用を賄うためにプロレスラーをやっていた神父もいます。またフランスでは最近は労働司祭といって、一般の会社や工場で働きつつ、伝道や神父としての務めをする人たちもいるくらいです。
    彼らは出家して世俗の労働をし、宗教専業という道を選びませんので、現代のパウロであり、本物の聖職者といえるのではないでしょうか。
    新興宗教系のプロテスタントは明らかに専業でやっている人の割合が多すぎると思いませんか?日本ではキリスト教の信者の数は決して多くはありません。とくにプロテスタントは近年信者がどんどん減っていっている状況にあるのです。
    日本以外の国ではプロテスタントの聖職者はイスラムと同じで、平日は世俗の労働をして、日曜日に聖職者をボランティアでやっていることが多いのだそうです。日本の状況が異常であるといわざるをえません。
    非常にいやなことをあえていわせていただきますが、新興宗教系のプロテスタントでやっている聖職者の多くは、世俗の労働をするのが面倒だとか、イスラムの聖職者のように毎日額に汗して働くのがいやだ、楽をしてみんなから生き神様のように拝み奉られて金儲けしてみたいという、非常にイージーな考えでこの業界に入ってきた人が少なくはありません。これは悲しいことに事実です。
    たぶんその教会の聖職者も、世の中の大半の人と同じように額に汗して働きたくないので、世俗の労働を免れる手段として神を利用しているだけでしょう。イスラム国は宗教の悪用をやっているとオバマ大統領は批判していますが、新興宗教系プロテスタントも宗教の悪用をしている聖職者がいるのは確かなのです。
    これ以上その教会にとどまっていることが、はたして本当に自分のためになるのかならないのかを、よーく考えてみられたほうがいいと思います。

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  6. マリックさんへ
    新興宗教の中には信者の献金に頼らない団体もあります。
    有名なのが天照皇大神宮教です。開祖の北村サヨが宗教で生活するなという方針を打ち立てました。教祖一族の生活費や建物の維持費等の諸経費は、いくつかの教団系企業からの収益と株式の配当でまかなっています。私たちにとって一番身近で有名なのがアルギットでしょうか。スーパーに行くと店頭によく並んでいるでしょう?アルギットという肥料を使用したネギやニラが。あれを作っている会社もこの教団の企業です。
    開祖の孫娘で教団を引き継いだ姫神様のご亭主も、教団系企業の一つに勤務するサラリーマンで、今も毎日会社で仕事をしていると思います。

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    1. 匿名様
      ご指摘をありがとうございます!知りませんでした。
      そう言う教団と内容のものがあるとは。知らずに一括りはいけませんね。
      無知をさらしてしまいました!

      さて「献金」と言うと、何とも崇高な使命を抱かせる言葉ではありますが、言ってみれば「寄付」ですから、それが「信徒の義務」なのにさも義務ではなく、進んで捧げるべき「喜び」等と形容してまで、金を毟り取ろうとするその精神に無性に腹が立ちますし、かつ「十分の一は神のもの」だ等と、実態の世界(販売営業マンは、戦って自分の領域を広げて行かないと、要は他人を押しのけて排除し勝利して行かないと、首になってしまうのです!)を馬鹿にしたうわべだけの利益誘導と、価値観を変革させマインドコントロールして、一人ひとりが生きて行くために勝ち取り、受けるべき当然の利益を、さも「この世の物を愛してはなりません」等と聖書の言葉で巧みに騙し、「ダニ」のように他人の利益に取り付いては奪って行く所業。神はこの様な行為を良しと認められるのでしょうか?
      摩訶不思議な思想と教理!これがプロテスタントの福音主義教会・カリスマ・ペンテコステ等の基本思想です!

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  7. 最初の匿名です。

    教会のHPを見ると「献金が回ってきても、御用のない方は入れなくていいです」と、太っ腹な事が書いてあるのに、洗礼後の献金については一言もないのは詐欺に近いとかねてから思っていました。モニター商法の様で!
    牧師の兼業については社会性を身につける意味からもいいと思います。机に向かわないと説教を考えられないと言って平日は自宅準備を貫くのはどうなのでしょうか。その上、週報も掲示板も作らない。全て奉仕の名目で信徒にさせるのは単なる怠け者としか思えません。
    世俗の仕事も、神様からの使命とするのは万人祭祀と聞いたことがありますが、その様な牧師は働くことを見下して牧師に就いた方もいる様です。ある牧師さんは有名大学に入りたかったが、偏差値で入れるのは神学部だけだったので!と言われた時は唖然としました。昼頃起きてくる方ですが、神学者は忙しいのだそうです。
    それなのに、あの方々に自分の汗して働いたお金を吸い取られているかと思うと悔しいですよ。しかし、こんなこと言えないのが教会です。

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    1. 二つの道が前に見えています。
      一つの道は、この教会を離れて金銭的にも精神的にも自由を得て、人生を楽しく生きることのできる道です。
      もう一つの道は、この教会にずっと在籍して、金銭的にも精神的にも不自由な思いを強いられて、たった一度しかない人生なのに死ぬまで悲嘆にくれていなくてはならない道です。
      どちらを選びますか?
      新興宗教系のキリスト教会には、確かに働くことを見下す聖職者がいます。「毎日ネクタイをしめて、上司や取引先に米つきバッタ状態で頭を下げていなきゃいけない会社勤めなんかしているやつはバカだ!」が彼らの考えです。
      イスラムの聖職者には机に向かっていられるほどの時間的余裕があるでしょうか?開祖ムハンマドが毎日商売人として、あちこちの街にいっては人々に頭を下げてまわって、ものを売っていたのを思い出してください。
      勉強もろくにせず、たいした大学にも入れず、毎日昼まで寝ている・・・これは聖職者ではなく、出来の悪いバカ息子がしょーもない大学を卒業だけはしたものの、どこも雇ってくれるところもなく、ニート生活を送っているのと同じような感じがします。学生時代から今に至るまで苦労らしい苦労などたぶんしていないのではないでしょうか。
      こんなニート野郎に自分の汗して働いたお金を吸い取られるのは、本当に正しいお金の使い方といえるのですか?そしていいたいことをはっきりといえないようでは、そこは宗教ではなく北朝鮮なのではありませんか?

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  8. こんな聖会年中やってたうちの教会。懐かしいなー有名なカリスマとされる韓国の聖会っていつもそうだよね。沖縄に来るたびに多額の献金を煽る。
    うちの牧師先生達に見せてあげたいこの「カルト」フラグ。
    そうだ、全ての教会に誰かFAXして欲しい。いや、牧師会などで配って欲しい。
    羊の切なる思い。

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