キリスト教会(プロテスタント)で活動していて、ふと「あれ、ここって教会だったよな・・・」と疑問に思う瞬間が、そう言えばあったなと思う。そういう瞬間について箇条書きしてみたい。
■あれ、ここって教会だっけ? と思う瞬間
・集会の準備で遅くまで残ったのに、牧師にダメ出しされて結局徹夜作業になった時。
→信徒の健康やプライベートより、奉仕のクオリティの方が重視される。それって教会? それ相当の給料をもらって働くならまだわかるけれど(それはそれで会社であって教会ではない)。
・なけなしのお金を精一杯の気持ちで献金したのに、「まだ足りない」と言われた時。
→たとえば「新会堂設立」とか「〇〇購入」とかの為、ないお金を絞って献金した。それは純粋に信仰から出た行為で、必要額に足りないのは重々承知していた。けれど牧師がガッカリしたように「まだ足りない」と言うのを聞いてしまった。それって教会?
・奉仕でミスして、謝っているのに牧師にこっぴどく叱られた時。
→昨今は「正しく叱る」みたいな言葉があるけれど、ある教会ではそんなの関係ねー。牧師はミスした信徒を怒鳴り散らす。ストレス発散みたいに。それでいて後から「あれは愛をもって叱っただけだ。あなたの為だから」とか外為オンラインみたいなことを言う。いやいや、マジで怒ってたよね?
・精一杯考えて代表の祈りをしたら、後から牧師に「あんなこと祈るんじゃない」と内容を完全否定された時。
→いろいろな人に配慮して、内容を考えて適切に祈ったつもりが、後から牧師に「そういう視点で祈るんじゃない」と否定された。祈る内容まで制限されなきゃダメですか?
・正直に話すよう言われて、思い切って牧師に対する不満を直接言ったら、「牧師批判だ」と責められて追い詰められた時。
→「誠意を込めて正直に話すことが大事だ」と常々牧師が言うので、十年以上たまった牧師に対する不満を言ってみた。勇気を振り絞って。すると牧師激怒。「それは牧師批判だ。今から臨時役員会を招集してお前をどう始末するか決めてやる」みたいなことを言う。今からってもう深夜ですけど? そんなに自分が可愛いですか?
・皆で談笑中、牧師がある信徒を笑いモノにして場を盛り上げている時。
→奉仕の後とかで皆で談笑している時、牧師が信徒の失敗談とか笑いネタとか始める。皆大笑いで楽しいけれど、ネタにされた信徒は苦笑い。牧師は「あ、ごめんごめん」とか言うけれど、更に続ける。悪いなんて思ってないよね?
・牧師に明らかに非があるのに認めず、自己正当化に終始するのを見た時。
→謝るってそんなに難しいこですか。
・牧師が明らかに罪を犯して逃亡した時。
上記につながるけれど、罪がバレた牧師が失踪。全信徒が置いてけぼり。これから教会どうする? てゆうかこれって教会? 何だかんだあって後、本当に教会でなくなりました、チャンチャン、という話。
もちろん問題のない教会はない。むしろ日々いろいろな問題を皆で解決していくのが教会かもしれない。けれど明らかに牧師に問題があり、かつ誰もそれを指摘できない時、その教会はどうやって健全化すればいいのだろうか。牧師がいなくなる以外の方法を私は思いつかない。
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