2015年1月29日木曜日

クリスチャンによるクリスチャンのため(だけ)のクリスチャン映画。映画『神は死んだのか』から。 

 クリスチャン映画『神は死んだのか』の感想は以前にも書いたけれど、時間が経って見方が変わったので追加したい。

 私はさほど前情報なく同映画を観た。だから初めは「無神論vs有神論」の高尚な議論が中心なのかと思っていたけれど、フタを開けるとクリスチャンによるクリスチャンのため(だけ)のクリスチャン映画であった。だから議論的にも立場的にも無神論の方がそもそもの出発点において不利な作りになっていた。

 これはフィクションとしては悪いものではない。不利に見えた主人公側が最終的に有利になる、というのがストーリーの王道だからだ。たとえば水戸黄門の敵キャラは悪徳商人とか悪代官とかが多く、身分を隠した黄門様より偉いけれど、「印籠」後は立場が逆転する。助さん格さんも強すぎる。主人公側に負ける要素がない。視聴者はそういう安心感を持って観ているし、初めやられていた主人公側が圧倒的に逆転する、そのカタルシスを毎回楽しみにしている。

 映画『神は死んだのか』にも同様の流れがあって、初めは主人公=一介の学生=孤立無援=激しい葛藤=勝ち目なしの設定で、敵役=ベテラン大学教授=全生徒が味方=余裕綽々=負ける要素ナシとなっている。けれど最終的には主人公は超理論武装(どうやってあれだけ準備した?)で大逆転、一方の教授は無神論というよりただの子どもっぽい嫌神者であることが露呈して敗北する。

 クリスチャンによるクリスチャンのため(だけ)のクリスチャン映画であれば、それで良い。けれど「無神論vs有神論」の議論の行方は? みたいな宣伝だとこの映画の本質をとらえていないことになる。何故ならこの映画では上記のようにクリスチャンは有利に、未信者は不利に設定されているからだ。

 この映画に出てくる未信者はとにかくイヤな人間、不幸な人間、正直でない人間として描かれている。
 まず主人公の恋人。何年も交際していたらしいけれど、主人公が単位を落とすかもしれない状況になると、あっさり別れてしまう。まだ何も決まっていないのに決断が早急すぎる。未信者は薄情だと言いたいのだろうか。

 次にフリーの女性記者(?)。クリスチャンに対して批判的な記事など書いていたらしいけれど、途中で癌だと分かる。すると彼氏に捨てられ、仕事もできなくなり、自暴自棄になっていく。未信者には不幸なこと、悪いことが起こると言いたようである(その逆にクリスチャンは逆境に陥っても最後は幸福になれる、と描いてる)。

 そして無神論者の権化である哲学教授。初めは無神論に絶対の自信があるように見せているけれど、結局ホーキングの言葉を引用するだけで、それ以外の論理的根拠を何も持っていない設定になっている。これでは議論にならない。
 くわえて敬虔なクリスチャンだった母を病気で亡くした過去があって、そのせいで神を逆恨みしているつまらない人間、ということになっている。そのうえ奥さんはクリスチャンで、矛盾だらけの存在である。
 結局のところ彼は無神論者でなく嫌神者なのであって、初めから「無神論vs有神論」の議論の土俵には立てていない。そこを突かれて議論に負けるのだけれど、これは議論とは言わない。

 挙句にこの大学教授、最後は不運な交通事故に遭って死んでしまう。死ぬ間際、たまたま居合わせた牧師によって悔い改めるのだけれど、まるで未信者は不幸な目に遭って死ぬ羽目になる、と言いたいようである。
 そして上述の女性記者同様、死の恐怖に直面すると誰でも神にすがりたくなるという場面を用意して、「ほら、みんな神様が必要でしょ」という話に持って行く。

 べつに無神論者を擁護する気はないけれど、これではあまりにクリスチャン贔屓というか、未信者差別というか、フェアでない作りになっている。これはクリスチャン映画だからそれでいいのだけれど、「無神論vs有神論」の公平な議論を期待して観るものではない。

 またこの映画を取り上げて「聖霊様イチオシの映画です」とか言っているクリスチャン(?)がいるけれど、何度も書いている通りこれはクリスチャンによるクリスチャンのため(だけ)のクリスチャン映画であって、一般向けでは全然ない。そして一般に向かない映画が「聖霊様イチオシ」になるはずがない。何の伝道にも証にもならないからだ。
 もしこれが伝道映画だとしたら、クリスチャンになると必ず幸福になれる、良いことが起こる、賛美集会でハッピーになれる、という誤解を与えることになる。そうだとしたら軽い詐欺行為であろう。だから伝道映画ではないと私は言うのである。

 これはクリスチャンの立場から描いたほとんど未信者イジメのクリスチャン映画であって、最終的に悪代官を罰する水戸黄門と同じ構造のフィクションである。そういう理解を持って観るならクリスチャンとして単純に楽しめる映画なのは間違いない。未信者には勧められないけれど。

1 件のコメント:

  1. |クリスチャンによるクリスチャンのため(だけ)のクリスチャン映画

    なンか「炎のランナー」を思い出しました。

    表向きはスポーツに青春をかけた若者たちのドラマではあるけど、監督がエリック・リデルの信仰を描きたかったと語っていたとクリスチャン新聞が書いているとおり、

    対比して描かれたユダヤ人選手ハロルド・エイブラハムの生き様よりも、リデルの証はハレルヤ!素晴らしい!!と福音派はしたかったわけで<なンせ、リデルの日曜厳守の告白は全世界のあまたの説教で推奨されたわけで>

    でないと、正論過ぎて、真っ当にも程があるのではなくらい、この映画は心を入れて鑑賞することができそうにない。

    その道徳の教科書然とした朝起き会の話題のような内容は、まるで、エホバの証人の雑誌みたいだから(苦笑)

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