夏休み中の教会行事を通して(今年は少なかったかもしれないが)クリスチャンになった子が、「新学期になったら学校でクリスチャンであることを公言して友達を教会に誘うように」などと早速伝道(勧誘)要員として使われることが、例年起きている。その手の教会の人には当たり前すぎる話だろうけれど、客観的に見て宗教的虐待だと言わざるを得ない。夏休み明けに限ったことではないが、どうかやめていただきたい。
私的な事柄をいつ誰にどのように公表(カミングアウト)するかは、個人の尊厳に関わること。特にクリスチャン人口が少ない日本では、カミングアウトすることで学校生活がしんどくなるのは容易に想像が付く。それを「信仰の試練」とか「イエスさまに従う道」とかと綺麗にパッケージングしても、強要であり暴力であることに変わりはない。
もちろんクリスチャン人口が多い環境であれば、これはそもそも起こらない問題だ。まわりがみんなクリスチャンなら、クリスチャンであることを殊更意識する必要がないから。が、日本はそういう環境ではない。伝道(勧誘)より、信者(というマイノリティ)になったその子を大切にしてほしいと思う。
スクールカースト上位の影響力のある子がクリスチャンだとカミングアウトするのは、さほど問題ないかもしれない。むしろ伝道効果があるかもしれない。しかしそれはキリスト教の魅力でなく、その子の立場のゆえの効果。そういう稀少例を挙げて、「さあみんな学校で伝道しなさい」と強制するのは、繰り返すが暴力だ。
相手が子どもであることも考えなければならない。大人の信者であれば、「職場で伝道(勧誘)すべき」と推奨することはあっても、そこまで強制しないだろう。まだ弱く、判断力も十分でなく、大人に逆らいづらい子ども相手だから強制してしまうのではないだろうか。
教会によっては、子どもが連れてきた(勧誘してきた)子の人数に従って、ご褒美やペナルティが与えられる仕組みがあったと聞く。ほとんど児童労働の域だと思う。子どもたちの負わされたプレッシャーはいかほどだったか。
教会はそういったやり方を「神様のため」とか「神の国拡大のため」とか言う。しかし現実は、教会もクリスチャン人口も減少傾向にある。それは「祈りが足りない」から、「伝道努力が足りない」からだろうか。そうでなく、信者を伝道要員として使い倒す教会の姿勢にあるのではないだろうか。