セーフティネットとしてのカルト教会

2021年6月1日火曜日

カルト問題

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 「カルト教会はダメ」だと多くの人が思うだろう。事実そこで大変な目に遭う人は少なくない。人生が壊されてしまう人もいる。たしかに肯定できるものではない。

 けれどそんな場所でも、「居心地の良さ」と「大変さ」が拮抗する人(あるいは前者の方が少し大きい人)は存在する。他に居場所を見出せなかった人、カルト組織だけが何とかフィットできる場所だった人だ。彼らは他のどこにも行けない。それがカルト宗教組織がなくならない、要因の一つとなっている。


 そのカルト組織がどれだけ怪しげに見えても、疑惑が掛けられていても、あるいは実際に問題行動を起こしていて、それが法的に認定されていても、そこに人が集まる限り、組織は存続する。どれだけ糾弾されてもなくならない。むしろ糾弾されればされる程、内部が結束する可能性が高い。


 善悪だけで物事は変化しない、ということだ。また善悪は明確に切り分けることもできない。


 わたしはカルト教会に長年属していた。そこで大問題が起こって目が覚める(?)まで、「自分は一生ここで仕えていく」と冗談抜きで思っていた。辛いことや疑問に思うことは多々あったけれど、それと拮抗するような「居心地の良さ」や「充実感」もあった。それにどこの世界にも辛いことや疑問に思うことはあるでしょ? とも思っていた(そう自分に言い聞かせて、納得していたのかもしれない)。


 それにそもそも、そこがカルト教会だなんて思ってもみなかった。

 なぜなら「キリスト教プロテスタント」の看板を掲げていたから。世界宗教を謳うキリスト教会がそんなおかしなことになるはずがない、と純真にも信じていた。無知は恐ろしい。だからこそ「一生を捧げよう」と思えていたのだ。


 しかしその無知ゆえ、あれこれ疑うことなく、カルト教会で「信仰とはこういうものだ」とか「これこそ真の信仰だ」とか思って、信じてその道に突き進めるのなら、それはそれで(本人にとって)幸せなことかもしれない。何の疑問も迷いもなく、自分なりの「真理」に到達できたと思えているならば。


 その場合は、無知の方が幸せかもしれない。


 「正解が分からないあやふやな状態」に耐えられない種類の人がいる。「これが答えだ」と明確にシンプルに教えてくれるカルト教会は、そんな人たちに安心と確信と目標を与えてくれる。だからこそ、そこが唯一無二の居場所になっていく。


 その意味で、カルト教会にはセーフティネット的な側面がある。そこで掬われ、救われる人がいる。そこでようやく息がつける人がいる。だからその組織が誰かを害するような事件を起こしてしまわない限りにおいて、一定の存在価値があるとわたしは認めざるを得ない。

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