History は His story ?
教会でこんな話を聞いたことがあります。
皆さんはありますか。
「歴史(History)は、神の物語(His story)なんだ」
History と His story を掛けたんですね。聞いた時は(バカだったので)ちょっと感動しました。「神の物語」という響きも詩的で好きでしたし。
これ、要は「歴史は神のコントロール下にある」と言いたいんでしょうね。良くないことが起こっても最終的に神が勝利されるから心配ない、神が歴史というストーリーを書いておられるんだ、世界は神の思惑通りに動いていくんだ、と。
それを聞いて盛り上がってしまう、以前の私のような人がいると思います。でもちょっと冷静に考えてみたらどうでしょう。
神を騙った人間の物語、では
まず多くの人が学校で「世界史」を学んだと思いますが、試験の前、〇〇年に〇〇戦争が起こって○○が勝ったとか、そういうのを延々と暗記しませんでしたか?
そのように世界史ってほとんど「戦争の歴史」じゃないでしょうか。つまり暴力と暴虐と侵略の物語なのではないでしょうか。
時には平和な時代もあり、良いこともあったでしょうけれど、その裏で夥しい数の人々が無残に殺され続けてきたのが歴史だと、私は思います。
また、戦争だけではありません。ホロコーストに代表される大虐殺の数々、感染症の蔓延による大量死、多くの犠牲者を出した大災害(事故を含む)など、歴史上の悲惨な出来事は、枚挙に暇がありません。
それらが総合的に、「神の物語」なのでしょうか?
旧約聖書において、神は「異教徒を皆殺しにせよ」とイスラエルに命じています。女子供も容赦なくです。またノアの時代の洪水では、ノアとその家族以外の全人類をことごとく抹殺しています。ソドムの街も皆殺しでした。
その意味では、「神の物語」が暴虐で満ちている、と言うのは納得です。
でも今は新約の時代のはずです。キリストが2000年前に来られて、新しい契約をされたのではありませんか。そしてその契約は「愛と許し」だったのではありませんか。
であるなら、その後の歴史が悲劇の連続だったのを、「神の物語」と言うことはできないでしょう。明らかに矛盾しています。
キリスト教が広まったことで歴史が作られていった(あるいは影響されていった)のは間違いありませんが、その歴史において暴虐の限りを尽くしたのは、むしろキリスト教圏です。それは「神の物語」でなく、「神を騙った人間の物語」だったのではないでしょうか。
神がコントロールしている?
「神様が歴史をコントロールしている、」というのはどうなのでしょう。
そう信じることが「信仰」なのでしょうか。
でも聖書はこうも言っています。
「毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ」(マタイによる福音書13章29節)
つまり悪い者がさらに悪くなるように、良い者がさらに良くなるように、「自然の成り行きに任せなさい」という意味ですね。
これは人類の歴史にも当てはまるのではないでしょうか。
すなわち人がどのように歩んでいくのか、何を選択するのか、それはそれぞれに委ねられている、ということです。
であるなら「神がコントロールしている」とは言えません。
それにもし「神がコントロールしている」としたら、ほとんど運命論になります。人が何をどう頑張ったって、結局は「神が定めた通り」になってしまう、ということですから。旧約の「エデンの園」を考えてみましょう。もし神がコントロールしていたなら、なぜエバは、禁止されている木の実を食べることができたのですか。「任されていた」からではありませんか。
私たちはいつも、自分の意志で何かを選択しているのではないでしょうか。
それとも「見えない力」によって、何かを「選ばされている」のでしょうか。
もし本気で後者のように感じているとしたら、それは精神症状の一つですから、早めに病院に行った方がいいです。
世界の中心で愛を叫ぶ?
「歴史(History)は神の物語(His story)」というのは、いかにもキリスト教圏的な考え方です。
日本人には「無常」という仏教的思想が根強くありますから、His story と言われても、いまいちピンとこないでしょう。
また「歴史は神の物語」という意見に同意するのは、(多くて)世界の3分の1くらいです。あとの3分の1はイスラム教、あとの3分の1は仏教やヒンズー教や無宗教だからです(ザックリとした割合です)。イスラム教も一神教ですから根本的には同意するかもしれませんが、「キリストの物語」とは認めません。
だから「歴史は神の物語だ」と言って盛り上がっているのは、キリスト教圏だけです。
自分たちが世界の中心でないのを、クリスチャンならよく認識しておくべきでしょう。いくら愛を叫んでも、そこは世界の中心ではないのです(読者はよく読み取るように笑)。
人類の歴史は文字通り「人間の歴史」です。
全人類がキリストの言葉に従い、隣人愛を実行しているなら、それは「神の物語」と言えるでしょう。でもそうはなっていません。むしろ、反対のことが起こり続けているのではないでしょうか。
最後に「主の祈り」の一節について考えてみましょう。
「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイによる福音書6章10節)
みこころが地上で行われているなら、「行われますように」と祈る必要はありません。行われていないから祈るのです。
つまり「人間の歴史」に「神の物語」が実現するのが願いなのであって、初めから「歴史=神の物語」なのではありません。
History と His story を掛けて感動するの、もうやめにしませんか?