今回は読者の皆さんから頂いた体験談をお送りします。
以前も投稿して頂いたreiさんの、追加の体験談です。強制的な伝道や奉仕、リーダーたちの非常識、その他の諸々を通して、reiさんはついに教会を離れる決意をします。さて、決定的な要因は何だったのか。前回のものと併せてお読み下さい。
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全てをむしり取る教会(HN:reiさんの体験談②)
以前体験談を投稿させていただいたreiです。前回投稿してから、いろいろ思い出したことがあったのでシェアしたいと思います。
前出のセクハラ事件を機に、教会内で騒動がありました。結果的に新しい牧師が招聘されました。でも首がすげ替えられただけで、やることは同じです。むしろさらに教会開拓だ、伝道だ、と旗が掲げられて、信徒は奉仕や献金など負担を強いられるようになりました。セクハラ事件(と言うより性犯罪)の反省も何もありません。
電車伝道
毎年8月下旬から9月上旬ごろ、何人かの信徒(10人ほど)が各地方の教会を訪問するというイベントがあります。私の時はY県とA県とS県でした。基本的に新幹線は使わず、「青春18きっぷ」を使ってローカル線で行きます。その道中、車内で伝道することが義務化されていました(普段から伝道の訓練なるものがありました)。
二人一組になって、一人でいる乗客に声を掛けます。未信者用の冊子を一緒に読んで、それを受け取ってもらえれば成功、といった感じです。もちろん違法行為です。でもリーダーらは「実りがあるから重要なんだ」と言っていました。
当然ながら、車内では白い目で見られます。電車内で勧誘する宗教団体に良い印象はないでしょう。日本宣教に情熱があると言いながら、キリスト教のイメージを悪くさせてどうるするんだと思いました。
私は嫌で嫌で仕方ありませんでした。でもやりたくないと言っても、聞き入れてもらえませんでした。
非常識な教職者
教職者たちにもいろいろ驚かされました。教職者と言っても、教会がやっている神学校(私塾)を出ただけの、学位などない人たちでしたが。
彼らは教養だけでなく一般常識にも欠けていました。私は偶然、教職者宛に届いた税金の督促状を見たことがあります。滞納していたのでした。それなのに信徒(特に新来者)たちにはあれこれ奢っていて、よくわからない金銭感覚でした。
違法駐車も平気でやります。待ち合わせ時間も守りません。何の連絡もなく1時間も2時間も遅れてきて、何の謝罪もありませんでした。「あなたの祖父母は天国にはいない」と言われたこともあります。その真偽は別として、本人に向かってそんなことを言うなんて、随分デリカシーのない人だなと思いました。
こんな人たちから聖書を教わりたくないと、心底思いました。
半強制参加のキャンプ
前回夏のキャンプについて書きましたが、冬にもキャンプがあります。冬の方は施設を借りるので夏ほどの辛さはありませんが、スケジュールはびっしり詰まっています。
私の友人は、このキャンプを断るのが大変だったそうです。予定があると言えば「そんな約束は後からでも埋め合わせできる。このキャンプは違う。絶対に恵まれるから行った方がいい」と言われ、それでも断るとあからさまに不機嫌な態度になったそうです。教職者やリーダーだけでなく、その人と仲の良い信徒まで駆り出して、総出で連れて行こうとするのでした。
私も金銭的な理由で断ったら、教職者が参加費を全額負担してくれたことがありました。例の滞納者ですが。どこからお金が湧いてくるのか、不思議で仕方ありません。
ライブで大騒ぎ
私はキャンパスでのライブの運営を担当したことがあります。教室を借りたり、ビラを作ったり、あれこれ手配したりしました。でもライブの許可を取ったわけではなかったので、大学側にバレないようにしなければなりません。それなのにライブ当日、教職者たちは通りがかる学生に手当たり次第に声をかけたり、アンプで大音量を出したり、わざわざドアのそばで歌ったりと、まるで見つけてくれと言わんばかりでした。当然隣の教室にも人がいました。もし通報されでもしたら、教室を借りた私の責任になります。内心とても冷や冷やしました。そのことを打ち明けると、教職者たちはその場では納得してくれました。しかし後から「あの人には神様が見えていない。リバイバルが起ころうとしているのに」と言っているのが聞こえてきました。
別に嘘をついてまでリバイバルを起こす必要なんてない、と思いました。
ダミーサークル
実はこの教会は、いろいろな大学にダミーサークルを作っています。私のところはボランティアサークルを名乗っていました。ライブ以外(特に新歓期)に伝道するときは「ボランティアをしないか」と誘います。教職者は毎週、各大学を回って集会を持つことになっているので、まずはその集会に来るように言います。この集会では「教会」というワードは厳禁でした。怪しまれないようにするためです。でも最終的に教会に誘い込みます。だから本人は意図せずして教会に出入りすることになります。そしてある程度定着したところで聖書の教えを叩き込む、という感じです。
教会を離れた理由
キッカケは、私の扱い方が雑になったと気づいたことです。教職者、信徒共にです。初めはあれこれ親切でしたが、それが手のひらを返したように変わりました。ものを盗られたり壊されたり、携帯を勝手に見られたり、個人的なことでからかわれたりしました。同じ頃に礼拝時間が勝手に変わっていたりと、教会全体に不満があったのも要因の1つです。
ちょうど大学の卒論、就活の時期でしたが、卒論にまで口を出されました。
「なんでそのテーマなの?」
「それが神様とどう関係あるの?」
前回も書きましたが、就職についても恋愛についても、同じように介入されました。
ここにいては自分の好きなことが出来ない。そう感じて離脱を決意しました。その教会の問題点を長年指摘している専門家がいましたので、話を聞いてもらい、アドバイスをいただいたきました。そしてその日のうちに教職者に「もう教会には行かない。不必要な訪問や連絡はしないでほしい」とだけメッセージを送り、それきりです。
結局、私は教会に利用されただけだと気づきました。
元々金儲けのために作られた教会です。日夜教会のために尽くす信徒だけが重要なのです。信仰はそのための道具に過ぎません。信仰と言っても、聖書の基本的な知識と教会のルールを叩き込めば完成する信仰モドキですが。カップラーメンみたいなものです。
本当にこの教会を抜けることができて良かったと思います。教会に疑いを持ち出したのは就活真っただ中の時でした。教職者から言われた通りの条件(主日絶対厳守など)ではどうしても上手くいかず、かなり悩みました。教会を去り、無事に内定をもらうことが出来てホッとしています。教会に居続けたら、きっと人生のすべてを教会にむしり取られていたのではと思います。(終わり)
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以上になります。
こういう教会やリーダーの実態は、当ブログを読んで下さっている方はご存知だと思いますが、決して珍しいものではありません。特徴や傾向は様々ですが、根本的に同じような問題を抱えた教会やリーダーが、至る所で見られます。驚くくらい同じことをしている場合もあります。
こういう教会やリーダーの実態は、当ブログを読んで下さっている方はご存知だと思いますが、決して珍しいものではありません。特徴や傾向は様々ですが、根本的に同じような問題を抱えた教会やリーダーが、至る所で見られます。驚くくらい同じことをしている場合もあります。
私はこの手の問題ありなリーダーを見るといつも考えます。この人は「最初から」こうだったのだろうか? あるいは少なくとも最初は、良い動機を持っていたのだろうか? と。
私が甘いのかもしれませんが、どんな牧師も初めは金儲けなど考えない、信徒を心底大切にする、あくまでキリストの教えに従順な、良い牧者であろうとしたのではないか、と考えてしまいます。そう期待してしまいます。実際のところはわからないのですけれど。
しかし最初がどうであれ、上記のような状態になってしまったら、もはや教会のリーダーとして適格とは言えないでしょう。残念なことですけれど。
実はここには書いていないのですが、冒頭の牧師の交替を巡る騒動は、相当大きなものでした。しかもあり得ない決着の仕方をしてしまっています。結局加害者が美味しい思いをし、被害者はやられっぱなしです。「正義は勝つ」など幻想なだけでなく、そもそも正義などどこにもないのではないか、とさえ思ってしまいます。
さて神様はこのような状況をご覧になって、いったい何と言われるのでしょうか。
最後に1つ、読んでいて見過ごせなかったのが、大学のダミーサークルの存在です。甘美な言葉で学生たちをサークルに誘い込み、まとめて教会に送り込むという勧誘モデルは、新興系プロテスタントだけでなくいろいろな新興宗教が実践しているようです。その被害者の多くは大学に入ったばかりの、ほとんど高校生みたいなものでしょう。当然ながらその手の知識や経験、判断力に乏しいですから、良いカモになってしまいます。この被害の実態がどれくらいの規模なのかわかりませんが、決して小さくないと思います。
つまりreiさんのような方が、今日もどこかで苦しんでいる、ということです。
身近なところにそういう人がいる方は、ぜひ注意してあげて下さい。そして被害を少しでも減らし、第2のreiさんを作らないことが、この体験談を掲載する大切な意義だと私は考えています。
参考
reiさんの前回の体験談、「絶対にお勧めできない教会」はこちらからどうぞ。
このカルト化しまくった新興宗教系プロテスタントは、確か前教祖に多額の手切れ金を渡したという話で、まさに盗人に追い銭です。もちろん被害者は泣き寝入りさせられたという・・・
返信削除新しい人を招聘したということですが、結局は韓流新興宗教系プロテスタントのやることですので、やはり誰が来たって同じということなのでしょう。
>彼らは教養だけでなく一般常識にも欠けていました
オウムが上九一色村にいたときの話ですが、村の誰かの家を用事で訪ねてきたときも、「ごめんくださいませ」と頭を下げて入ってきたのは、早川紀代秀だけだったそうです。それ以外は黙ってドアを開けてぼけーっと突っ立っていただけだったと。
やはり新興宗教どっぷりになってしまうタイプの人は、「税金を滞納しまくっているのに、こんなことでお金を使っていいの?」で明らかですが、コモンセンスなんか身についていない人が多いですし、もし多少は知っていたとしてもそんなものを無視してしまうということなのだと思います。コモンセンスの大切さをわかっていない点で、新興宗教どっぷりの人は幼児的といえます。
>どんな牧師も初めは金儲けなど考えない、信徒を心底大切にする、あくまでキリストの教えに従順な、良い牧者であろうとしたのではないか、と考えてしまいます。
麻原はすでに小学生の時に将来の夢として「ロボット王国をつくりたい」と回答していますので・・・
新興宗教の業界に入る人は、金持ちになりたいとか人を支配したいとかいうう思いが子供のころから強く、一旗上げてやろうという臭い臭い俗物です。
教祖になる人はコンプレックスが強いタイプと指摘していた人がいましたが、確かにそれはあるでしょう。大川隆法が田舎者で二浪の末に法学部に入ったものの、試験という試験に落ちまくって、やっとトーメンに拾ってもらっても結局はうまくいかずに不適合を起こして、東大法学部落ちこぼれコースと笑われたのは事実です。
今は霞が関にいる優秀なクラスメートを見返すには、新興宗教の教祖として君臨し、「俺はこれだけたくさん金持っているんだぞ!女房も新しく入れ替えたし、他にも女がいっぱいいてもてるんだ!こんなにも多くの人間が俺を神と思ってひれ伏しているんだ!清水富美加なんか俺のために芸能界での栄光を全部捨てたんだ!どうだ?お前らの財力と権力なんか、俺の足元にも及ばんだろうが?!」とやるしかないからです。
問題行動、というか犯罪行為をしたにもかかわらず、多額のお金をもらって去っていくだけ、というのが本当に理解できませんでした。どうしたらこんなことが起こるのでしょう? もちろんそこに様々な事情があって簡単でないのはわかりますが、それにしても理不尽というか・・・。
削除もう絶句するしかないお話でした。
教祖タイプの人間はコンプレックスが強い、というのは同意ですね。私が知っている教祖系牧師も、学歴や容姿にコンプレックスがあったようです。本人は自信満々を装っていましたが。
>自信満々を装っていましたが。
削除自信満々を装うというよりは、「自分が教祖をやっている新興宗教の中でだけは全能感に満ち溢れていられる」という表現の方があっているかもしれません。その証拠に教団の外に出れば、たとえば麻原なら「あんたなんか、ただの松本智津夫じゃないか!」といわれておしまいです。
>私が知っている教祖系牧師も、学歴や容姿にコンプレックスがあったようです。
創価学会ほどの規模こそありませんが、新興宗教系の仏教の教祖様がまさにそれでした。
若いころにある師について教学の勉強に励んでいたのですが、同門に彼よりも頭がよくて男前の人がいました。
若いころの教祖には、ひそかに思いを寄せる女性がいたのですが、その女性はあちらを選んでしまいました。。。。(笑)
今はもう老いぼれたよぼよぼの老人ですが、教団を立ち上げたエネルギーはやはり嫉妬であったようです。
ちょっと違いますね。全能感というより、虚勢を張っているのです。だから自信満々を装っている、と表現したのです。
削除私が知っている実在の人物について評したので、その人物を知らないはずの匿名様に、わざわざ訂正して頂く必要はありませんよ笑
それこそ不確かな憶測でしかありませんから笑
reiさんの体験談を読んで、共感した点がたくさんありました。抜け出せて本当に良かったですね。ふと一つ思い出したことがあります。
返信削除私が通っていた教会も大学伝道をしていました。教会の宣教師が大学に行って英語でバイブルスタディをしました。無論無許可ですが。私も手伝ったことがあります。
主任牧師は、このバイブルスタディは教会につなげるためにあるのではない、教会の利益を求めるものではない、あくまで学生たちに信仰の種を蒔くのです!と言っていました。週に一度のバイブルスタディには10人前後が集まっていました。
私はある日、教会のリーダーから「〇〇大学の今週のバイブルスタディの人数は何人だったの?ここの表に書いておいて」と言われ、気付きました。ここの教会は、教会の礼拝出席者数にこのバイブルスタディの人数を毎週たしていたのです。えっ?あんなのただの英語のおしゃべりタイムだよ?自分たちの利益はいらないとか言ってなかった?
これぞ水増し教会。水増しチャーチ。
気が変わりやすい牧師は、本当に気が変わるのです。それが私の考えです。
>呂布さん
削除>水増し教会、水増しチャーチャー
って、あるあるですよ!(笑)
こういった教会は、実際の動員よりも、多く見せたがるんですよね。
僕が知っている教会は、週1の公園伝道に来た子どもたちの数も、礼拝出席者の数に加えてましたから。ふざけんなよと。
Fuck
私の教会も、その週に訪問した人や、何かの用事で教会に来た人を、礼拝出席者数に入れていたと思います。べつになんの影響もないので気にしませんでしたが。
削除あと特別集会なんかの時は、あきらかに人数を水増ししてましたね。席が全部で50くらいしかないのに、「先週のナントカ集会には100名近い人が来られました」とか。ん? どこにいました? ってなりましたけど。
新興宗教は水増し数字を発表するのが本当に好きな生き物だと思います。創価学会壮年部の人の話では、座談会でもなんでもそうだが、あまりにも少ないとかっこ悪いので、犬まで勘定に入れていたという・・・(苦笑)。
削除そもそもの話ですが、参加人数を水増ししたところでメリットは少ないと思いますけどね。
削除参加人数の水増しは、新興宗教や左翼団体のお家芸です。
削除メディアリテラシーが求められます。
例を挙げると。
デモや集会の写真を取るとき、見栄えのする若者を前列に置いて若者が多い集会と印象付ける。
ガラガラの大集会室の時は、撮影の時だけ参加者を一か所に集めて、空席が写り来ないようにするetc.
対外的な理由と、組織内部向けの理由と両方あります。
サークルレベルの小集団だと無意味ですが、機関紙を発行してるレベルの全国組織だと、遠方の支部に「○○支部はこんなに頑張ってる」と景気づける事ができます。
何にでも印象操作はあるでしょうね。自分たちのことを良く見せたい、という願望が根本的にあるでしょうから。
削除教会のHPに載せる会堂の画像をフォトショップで加工しまくって、ものすごく綺麗にした牧師がいました。信徒も自分の教会だと思わなかったくらいの「改変」でしたね笑
reiさん、体験談をありがとうございました。
返信削除みんな似通った体験をしてるんだなぁと思うと同時に、「カルト」の手口も共通なものがあるんだなとわかります。
ここまでくると、自分たちのことを「健全な」とか「正統な」と思っている教会の牧師たちが対策を立てる必要性を感じますね。
地域の教会で協力して「健全な運営をしている教会認定」をつくるとか、通っていい教会と通ってはいけない教会の評価をする必要があるんじゃないでしょうか。
カルトの被害者に対して、「悪い教会に関わってしまったのね、かわいそう」と他人事で済ませる時代はもう終わりにしないと、キリスト教の信頼が地に堕ちますよ。
聖書を読むかぎり、伝道と同じくらい、正しい教えを受け継いでいくこと、間違った教えから人々を守ることは大事な仕事なのですから。
おっしゃる通りだと思います。教会にも何かしらの相対評価があったらいいですね。難しいとは思いますが。
削除ただカルト系牧師の場合、自分の教会の評価が低く出されたら、たぶん激怒するでしょうね。営業妨害だ、とか言って大攻勢をかけてくるかもしれません。実際にそういうケースを見たことがありますので、すごくリアルに感じます。
激怒されたら激怒されたで、あくまでも冷静に話し合っていくしかないでしょうね。
削除それが正しい教えを守ること、受け継いでいくことにつながりますから。
反対にそれができなければ、キリスト教の評判はどんどん落ちていくだけです。
カルト系牧師の厄介な点の1つが、攻勢に入るとどんな手段を使ってくるかわからない、という点です。相手を貶めるためなら彼らはルール無用です。そのへんは今度詳しく書ければと思いますが、冷静な話し合いができる状況ばかりではないと思いますね。むしろ話し合いにさえならないかもしれません。
削除私の場合も、「カルト化教会」という総体を批判的に書いていますが、もし個別の教会についてあれこれ書いたとしたら、その教会と正面からやり合うことになって、たぶん大変なことになると思います。この点はブログを始める際に迷ったことなのですが。
ルール無用の人格攻撃をしてくる危険性は十分にあると思います。
削除それでも、「牧師」であるなら、正しい教えを守るため、信徒を守るための行動が求められていると思います。
反対にいうと、これまで何も対策をとってこなかったから、ここまで被害が大きくなったとも言えます。
私の場合ですが、教団側と話し合いをしたときは事実をたんたんと説明しました。その後私への人格攻撃は、私の耳に入る範囲ではいっさいありませんでした。
私のような元信徒やfuminarukさんのような信徒のみなさんは体験談を語ることはできます。
けれども、それらの証拠をもとにカルトと闘っていくのは「牧師」の肩書きが必要です。
牧師には、もっとしっかりしろと言いたいですね。
カルト化と戦うのは牧師だけでなく、クリスチャン全員だと私は考えています。もちろん戦い方は人それぞれ、できる範囲やかけられる時間も人それぞれ、だと思いますが。
削除あるいはチームになって戦うのも大切かもしれません。その中に理解のある牧師がいたら確かに心強いでしょうね。いずれにせよ、カルト化を見過ごせない、という意思を一人一人が持っていることが肝要と私は考えています。
私が教会に行き始めた20年くらい前、アメリカの「歴史や伝統のある教会のカルト化」の問題が雑誌で報じられました。
削除100%いきなりカルト宗教なら分かりやすいのですが、カルト的傾向がある、元々は伝統的な教団。みたいになグレーゾーンもありこの辺が難しいと思います。
クリスチャン作家の遠藤周作氏が、「善人の中にある悪」「悪人の中にある善」という言葉を使ってますね。
ちなみに、教会とは話が外れますが、国有地問題で有名になった「森友学園」は、元々歴史のある普通の幼稚園だったそうですね。
インマヌエルさん
削除そうなんですよね。純度100%の、見るからに「悪の組織」みたいなカルト教会がある訳ではないんですよね。むしろ見た目はノーマルというか、特に問題なさそうな印象さえあります。あるいは初期の段階では良かったけれど、徐々に問題を孕んでいった、というケースもあります。
だから教会の中にある「カルト化の種」は、見えないところにある、と言っていいと思います。白か黒かはっきりしない、おっしゃる通りグレーなところをどう見るか、どう判断するかが大切ですね。
reiです。皆様のコメントは興味深く読ませていただいております。こうやって実体験を記すことで少しずつ心の整理が出来ています。
返信削除余談ですがここ1年、教会でよく言われていたことがあります。「良いクリスチャンであれ」ということです。これはとても曖昧とした定義です。「聖書的に生きること」が良いクリスチャンなのだそうです。ですが、逆に言えば「悪いクリスチャン」が存在することになってしまいますし、クリスチャンに良い悪いは関係ない。自分の努力で神に近づいていこうとしているのと同じです。どちらかと言えば聖書で言うファリサイ派の人々に近いと思います。
教会を離れてみて思うのが、彼らの「愛」が強制されたものだということです。自分が心から愛したいと思うのではなく、聖書に書いてあるから愛する。もちろん人を愛することは大切なことです。ですが、その人の心の奥底から湧いて出てきたものじゃないなら嬉しくないですよね。表面的には愛の溢れた団体に見えますが、心の内では何を考えているのか分かったもんじゃないです。
私を愛するといつも言っていた教職者は、離れた途端にメッセージを完全無視です。先日誕生日を迎えましたが、メッセージ1つ送ってきませんでした。結局その程度の愛なんだな、と幻滅しました。
reiさん
削除体験談を本当にありがとうございました。少しでも心の整理になればと思います。
おっしゃる通り、この手の教会の人たちは、「パリサイ人に気をつけなさい」と言いますが、自分たち自身がそれになっていないかどうか、吟味する余裕がないようです。「良いクリスチャン」というのも、自分たちにとって「良い」「都合がいい」という意味でしかありません。そうでないクリスチャンはみな「良くない」「どこか間違っている」「問題がある」と一方的に決めつけています。もはやどんな言葉も届かないのではないか、と思ってしまいます。
彼らの言う「愛」も、おっしゃる通り「条件付き」です。教会に来るなら愛する、奉仕をするなら愛する、自分に従うなら愛する、といったものです。
私も自分の牧師に対して、正直に、思うところを告白したことがあります。ネガティブな内容でした。でも正直に、ありのまま打ち明けました。信頼関係があってこそ言える内容でした。でも牧師は顔色を変えて、「それは教会批判だ」「今すぐ悔い改めなければ役員会にかける」と脅してきました。まったく信じられない反応でした。そのとき初めて、自分が信じてきたものが全部偽りだったのではないか、と気づいたのでした。
>私を愛するといつも言っていた教職者は、離れた途端にメッセージを完全無視です。先日誕生日を迎えましたが、メッセージ1つ送ってきませんでした。
削除これは新興宗教だけの話ではなく、政治団体でも同じです。共産党をやめた人がいうには、「あれだけ同志と呼び合い、選挙だけではなくプライベートでも親しくしていたのに、党をやめたとたん年賀状すらよこさなくなった」と。
関係ない政治団体の話をされても、そうですかとしか言えませんが笑
削除>fuminaru kさん
削除>私も自分の牧師に対して、正直に、思うところを告白したことがあります。ネガティブな内容でした。でも正直に、ありのまま打ち明けました。信頼関係があってこそ言える内容でした。でも牧師は顔色を変えて、「それは教会批判だ」「今すぐ悔い改めなければ役員会にかける」と脅してきました。まったく信じられない反応でした。そのとき初めて、自分が信じてきたものが全部偽りだったのではないか、と気づいたのでした。
↑キマジメ君がこれから受ける仕打ちし思うと胸が痛いですわ。でも、これもあるあるですね。勇気を出して本音を話したら、あり得ない反応を見せるって。純粋な信徒を食い物にしやがって。Fuck the fake fuckin Christianity
キマジメくんは現実の私自身よりずっと純粋で、ずっと真面目な人ですから、そうなった場合のダメージは相当大きいでしょうね・・・。
削除宗教団体、政治団体、就職していた企業などなど、止めた途端、年賀状すらないというのは普通でしょう。宗教団体で言えば、創価学会がそうですし、政党でも離党すればそんなものでしょう。近親憎悪の一種でしょうね。
返信削除親しかった分だけ、離れた時のギャップも大きいということでしょうね・・・。
削除