【体験談】絶対にお勧めできない教会(HN:reiさんの体験談)

2017年10月24日火曜日

体験談

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 今回もまた、皆様から頂いた体験談を掲載させていただきます。
 某福音派教会に約3年間通われたreiさんが、そこで見たものとは。タイトルにもあります通り、「お勧めできない」と言わしめる出来事の数々があったようです。
 どうぞお読み下さい。

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・絶対にお勧めできない教会(HN:rei さんの体験談)

 私は以前韓国系福音派教会に通っていた者です。今回は私が経験したことを投稿しようと思います。

 その教会では、毎年2回夏と冬に近隣のいくつかの大学に出向いて、無許可でゴスペルライブを開催します。もちろん無許可なので、会場となる教室は、そこの在学生の信徒がいれば借りてもらいます。いなければ教室ではなく、広場などで行っているようです。大学側にバレて、追い出されたことが何度かあるそうです。
 ライブ前には教会の教職者が大学構内で宣伝活動をします。もちろんこれも無許可です。歩いている学生やベンチに座っている学生(1人でいる人がターゲット)に声を掛けて、連絡先を交換できればオッケーという感じで行います。

 ライブ後には、教会で行うコンサートに誘います。その際に、「教会」という単語をなるべく使わないようにします。こちら側の情報はなるべく明かしません。教会名などは名乗らないのです。「ゴスペル」をエサに教会に誘い込む手口です。なので正体を隠した勧誘行為だとネット上では割と有名になっています。少し前までは勧誘の人数にノルマがあったようですが、牧師がセクハラ事件を起こしてからは無くなったと聞きました。

 セクハラ事件というのは、私がそこに通う以前にあった出来事です。セクハラというより性犯罪と言った方が正しいかもしれません。警察沙汰にならなかったのは、それが発覚した際、内輪で話を付けたからのようです。被害者は訴訟など起こさないよう密約させられ、結局全員泣き寝入りせざるを得なかったそうです。

 体罰も常習化していたようです。実際、私は腕を叩かれたり物を取られたりしたことがあります。また礼拝中に伸びをして怒られたこともあります。

 その教会の人たちは未信者を「かわいそうな魂」だと言って見下します。そんな上から目線で厚かましい態度で伝道はしないでほしいと常日頃思っていましたが、そんなことを口にすれば怒られてしまうので言いませんでした。

 毎年夏には、3泊4日ほどのキャンプがあります。そのスケジュールがとてもハードなのです。1日中講義でみっちり。休む時間などありません。特に椅子などなく、地べたに座りっぱなしで腰が痛くなります。また真夏なので暑さで体力を消耗します。「恵まれた」と言っている人がたくさんいますが、半分以上は気のせいなんじゃないかと思います。祈るときは大声で祈ります。ネット上では「絶叫祈祷」と呼ばれています。個人的にはもっと静かな場所で祈りたかったです。

 教職者は守秘義務を守ることすら出来ません。私が相談した内容は、数日後には他の信徒に知れ渡っています。さすがにショックでした。誰にでも言えるような軽い内容のことではなかったからです。また、人の私生活に必要以上に介入してきます。就職のことでも「主日は守れるところがいい」「なんでその会社にしたのか」「神様の栄光のために就職しなさい」と言ってきました。逆に神様の栄光にならない職があるのでしょうか。恋愛にしても、卒論にしても何にでも介入してきます。もう何も言いたくなくなります。それくらい好きにさせてくれと言いたいです。
 主日は絶対厳守しなければいけないという暗黙の了解があります。遊びに行くなど御法度。そんなことを言えば教職者は嫌な顔をします。
 とにかく何をするにも「聖書的、聖書的」が口癖のような人たちです。それが間違っているとは言いませんが、そのせいで大勢の人間が傷を負って教会を去っていきました。人を愛すると言いながら、愛する対象は決まっています。「聖書的な人」しか愛さないのです。LGBTの人たちはあからさまに差別しますし、「治す」といった発言をしているようです。それが果たして主の愛と呼べるものなのでしょうか。結局条件付きの愛なのだと思います。教会に居る人だけを愛する。教会を出た人はサタンにとりつかれたとでも教えているのかもしれません。その証拠に、連絡をしてみても一度も返ってきたことがありません。まるで手のひらを返したような態度です。こんな教会から抜けられて本当に良かったと今では思っています。
 後輩が同じような勧誘に引っかかって欲しくない。そう思います。

 他にもいろいろ経験しましたが、それはまたの機会にしたいと思います。(終わり)
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 以上になります。
 学内での無許可のライブ、セクハラ、体罰、信徒に対する過剰な要求と介入、差別、折り合わない信徒の追放と、 どれも重大な人権侵害を含んでいます。特にセクハラ(性犯罪)に関しては、詳細はわかりませんが、正式に事件として扱われるべきだったかもしれません。
 この手の牧師が問題なのは言うまでもありません。けれど過酷なキャンプにもかかわらず「恵まれた」と言う人が多いように、問題は信徒の側にもあります。信徒が牧師を擁護することでカルト化を助長させる、という問題です。

 教会での性犯罪というと、聖神中央教会の事件を思い出します。あれも複数の被害者を出してしまいました。けれど発覚には時間がかかりました。何故でしょうか。事件の性質上、被害者が声を上げにくかったこともあると思います。けれど教会の場合、信徒の立場では牧師を非難しにくい、という事情も絡んできます。「教会のために頑張ってくれている牧師先生なのだから」「牧師先生にはお世話になっているから」「先生は神の器なのだから」というような心理で牧師を神聖不可侵にしてしまうのです。

 でも牧師は神様でなく、間違いを犯すことがあり、他の皆と同じように「罪」ある存在です。信徒と何ら変わりません。というか、未信者の方々ともほとんど変わりません。ただ神様を信じているというだけです。だから特別視される理由は何もありません。悪いことをすれば当然その責を負います。

 と、いう当たり前のことが、(一部の)教会では当たり前となっていないようです。依然として牧師は不可侵のままです。だから牧師の好き放題になってしまっています。そしてそれに右ならえする信徒が多いので、今回の体験談のようなことになってしまうのですね。
 日本のキリスト教界(のもちろん一部ですが)ではこんなことがもう何十年も続いています。そろそろ変えて行かなければならないのではないでしょうか。私はそう考えています。

 体験談を投稿して下さったreiさん、ありがとうございました。他にもいろいろ経験されているそうなので、また宜しければシェアして頂ければと思います。

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