イースターポリスに告ぐ

2022年4月12日火曜日

キリスト教信仰

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イースターの時期に現れる「イースターポリス」

 一昨日(2022410日)から受難週が始まりました。次の日曜(17日)は「イースター礼拝」を捧げるキリスト教会が多いと思います。私が今通っている教会も、子ども向けの「イースターエッグハント」(教会内に隠されたゆで卵を探し出すゲーム)を礼拝前に行うそうです。SNSでは色々な教会が例年、色とりどりのイースターエッグの写真をアップします。


 一般にはあまり認知されていませんが、キリスト教界隈(のプロテスタント)では受難週からのイースターはちょっとしたイベントです。もっともイースターエッグを作るイベントでなく、主イエス・キリストの受難(十字架刑)と死、三日目の復活を記念するのが本来の趣旨なのですが。


 ところがこの時期は、次のような言説も散見されるようになります。


「イースターはもともと邪教の祝祭だからキリスト教とは関係がない」

「イースターを祝うのは霊的な偶像崇拝に当たる」


 イースターは本来キリスト教と関係ないのだから祝わなくていい、むしろ祝うべきでない、いや祝ってはいけない、という言説です。私はこれを「イースターポリス」と呼んでいます。全然関係ない他人がイースターを祝うのを、勝手に取り締まるからです。


 しかしイースターを祝う側は、「キリストの復活を祝う」と宣言していますし、そう認識していますし、実際に礼拝でそう祈るのです。417日がキリストが復活した日でないことは承知しています。日付を合わせることが大切なのでなく(そもそも復活の正確な日付は分かりませんし、イースターの日付も毎年変動します)、「この週はキリストの受難と復活を記念する期間にしよう」という、キリスト教界が培ってきた文化風習です。ですから「もともと邪教の祝祭だ」というのは、それが事実であってもなくても、もはや関係ありません。


 似た話で、「1225日はイエス・キリストの誕生日でないからクリスマスを祝う意味なんてない」という言説もありますが、イースターと同様、1225日がイエス・キリストの誕生日かどうかは重要でありません(繰り返しますが、正確な誕生の日付など分かりません)。「1225日を降誕を祝う記念日にする」という文化風習なのですから。


 イースターポリスの方々は、このあたりの理解が欠けているのではないでしょうか。


イースターポリスに御用心


イースターを否定する本当の動機


 イースターポリスの方々はしばしば、「イースターやクリスマスはもともとの邪教のスピリットが流れているから祝うと霊的に悪い影響を受ける」と説明します。しかし「霊的に悪い」という、根拠不明で誰にも確認しようがない言い方をするのはずるいと思います。呪術的でオカルトチックでもあります。それに「霊的に悪い影響を受ける」というのが具体的にどういうことなのか、ちゃんと説明できる人に私はお目にかかったことがありません。


 個人的経験から言いますと、「霊的」という言葉と、それを多用する人には注意が必要です。


 またイースターポリスの方々は、イースターやクリスマスといった西欧キリスト教圏発祥のイベントを否定する代わりに、ユダヤ暦に沿ったイベント(ハヌカやヨム・キプールなど)を祝ったりします(私の以前の教会はそうでした)。その方が「本物のクリスチャン」なのだ、と主張して。


 しかしそこにあるのは、「我々は本物を知っている、特別なクリスチャンだ」「我々を俗なクリスチャンたちと一緒にしないでくれ」という、肥大したプライドではないでしょうか。イースターを祝うクリスチャンが「偽物」で、ユダヤ暦の諸々の祭りを祝うクリスチャンが「本物」だ、ということではありません。そうであってほしい、そうであるべきだ、という一方的な願望であり、優越感であり、選民思想です。そのプライドが、イースターやクリスマスの否定に一役買っていると私は考えます。


 もっともイースターを否定するのもクリスマスを否定するのも自由です。イースターポリスの方々がどのような信仰を持っていようが、私には関係ありませんし、興味もありません。ただ他人が信仰をもってイースターを祝い、クリスマスを祝うのに水を差し、ケチを付けるのは、失礼でしかありません。そのことが理解できないあなたの「霊的な」「信仰」など、高が知れているのではないでしょうか。

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