クリスチャンどうしの結婚でなければダメ?

2021年8月10日火曜日

教会生活あれこれ

t f B! P L

 「クリスチャンどうしでなければ交際も結婚もダメだ」と言っていた牧師さんがいる。

 ある日、その息子さんが信者でない女性を婚約相手として連れてきた。牧師さんはもちろん説得を試みた。けれどどうしても無理だった。息子さんの意思は石のように固かった。

 最終的に牧師さんは結婚を認めた。「まぁ、好きになっちゃったもんは仕方ない……

 自分の主張(信仰?)より、息子さんを選んだのだ。

 それを聞いて、私はその牧師さんのことがすごく好きになった。


 この話を聞いて「信仰を妥協してはならない!」と怒る人もいるだろう。けれど、その信仰的な偏狭さが現実に無数の家族関係を壊し、友人関係を壊し、様々な繋がりを壊してきた。だから自分はその牧師さんの「妥協」を全面的に支持したい。


 私は「クリスチャンどうしでなければ結婚してはダメ」とは思わない。しかしそれは「クリスチャンどうしの結婚はダメ」という意味でもない。クリスチャンどうしだからこそ分かり合える部分もあるだろう。そしてクリスチャンどうしだからこそ分かり合えない部分もあるだろう。宗教を異にするからこそ気づく点、教えられる点もあるだろう(実際、宗教を異にするカップルは多くいる)。要は、相手の宗教を結婚の前提条件にすることがそもそもおかしい、という話だ。


 「神様がクリスチャンの結婚相手を備えて下さる」という言葉に期待して祈り続けた(逆に言えば、祈る以外何もしなかった)人の多くが、結局独身のまま中年・壮年を迎えるのを無数に見てきた。すると彼らはこう言われることがある。

「独身の賜物が与えられているのです」

 それは一般的な言い方をすれば、詐欺なのではないだろうか?


 「クリスチャンどうしの結婚」が当たり前だったのは、キリスト教国で、街全体、コミュニティ全体がクリスチャンだったからだ。クリスチャンでない人間がほとんどいない状態では、当然ながら結婚とはクリスチャンどうしがするものだった(その意味では、相手がクリスチャンかどうか、という判断基準そのものが存在しなかった)。


 同じことをクリスチャンが超マイノリティである日本でやろうとしたら、どうなるか。結果は火を見るより明らかではないだろうか。もし「結婚相手の条件リスト」に「クリスチャン」を挙げている方がいたら、その項目は早めに削除することをお勧めしたい(繰り返すが、クリスチャンどうしの結婚が良くない、と言っているのではない)。


 クリスチャンかどうかで人の価値は測れないし、測るべきでもない。クリスチャンであることは相手の一側面でしかない。私は教会が危機に陥った時、多くのクリスチャンでない人たちに助けられた。相手がクリスチャンかどうかに固執すると、大切なものが見えなくなってしまう。

QooQ