「全○神は即ブロック」は妥当? 適当?

2020年8月15日土曜日

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「全○神等の異端は(SNS上で)即ブロック」という人(クリスチャン)が割と多い。それはそれで自由だと思う。精神衛生が保たれるなら、どんどんブロックして自分の快適さを保つべき。


 ただSNSのブロック機能は「蓋をして相手を見えなくするだけ」だと忘れてはならない。タップ1つで全○神のアカウントがごっそり消えてしまうわけではない。


「いや、ブロックするのは、知識や経験のない人たちを守るためだ」


 という意見もあると思う。新米クリスチャンや後輩のことを案ずる気持ちは立派だ。

 けれど、仮にクリスチャンのベテラン勢が一丸となって全○神アカウントを一つ残らず特定し、全員ブロックし尽くしたとしても(それは現実的に不可能だが)、それで知識や経験のない人たちを守り切ることはできない。抜け道はいくらでもあるのだから。


「ブロックして知識や経験のない人たちを守っている」というのは、実際は幻想でしかない。


 これはたとえば、子どもにTVやゲームを禁止して、それらの問題点を実感させないのと同じ発想だ。とりあえず蓋をして見えなくして、子どもがそれらの問題と対面するのを先延ばしにするだけだから。しかし現実には子どもがTVやゲームに触れる機会など幾らでもある。

 それに子どもが成長して親から自由になったら、もう止められない。その時になって初めてTVやゲームと対面するとしたら、その方が心配ではないだろうか。禁止されていた鬱憤が、大きな反動となって出ることもある。


 全○神の人たちが教会の信者を無理やり誘拐するとか、教会を武力で制圧するとかなら、もちろん問題だ。こちらも実力行使しなければならない。

 けれど彼らはそういうやり方はしない。上手く誘って魅力的な教えを語って入信させる、というやり方をする(らしい)。


 そこで大切なのは、「異端とはこういうものだよ。カルトとはこういうものだよ」と皆がちゃんと理解していることだ。いちいち「即ブロックします」と断る暇があるなら、そういう発信をした方がいいと思う。よく分からないなら、調べたり勉強したりするべきでは。


 カルトの手口で優しくされ、魅力的な教えで諭され、それで改宗する気になるとしたら、元々キリスト教信仰や教会生活に何か疑問や不満があったからではないだろうか。悩みがあっても教会の誰も真面目に取り合ってくれなくて失望した、という話はよく聞く。「弱い人を守るために全○神はブロック」と言う人は、普段どれだけ「弱い人」たちをケアしているのだろうか。


 全○神を問題として考えるのであれば、自分たちの普段の姿勢からまず検討すべきだと思う。


「異端だから危険」「カルトだからヤバい」という表面的な印象だけでただ闇雲にブロックしても、前述の通り、問題に蓋をして見えなくするだけだ。誰かを守っている事にはならない。本気で守りたいなら、自らの信仰さえも批評的に吟味し、普段から異端やカルトの何が問題なのか(あるいは何が問題でないのか)を語らなければならない。


 それに全○神の主なターゲットは、若い世代や大きめの教会だという。高齢化した教会で若い世代が奉仕等でこき使われる、というケースをよく聞くけれど、そうやって若者たちを冷遇しておいて、今さら「全○神をブロックして守らなければ」とか、どの口が言うのですか? とも思う。


 というわけで「○○は即ブロック」という「条件反射的該当カテゴリー全ブロック」は、自分は採用しない。むしろ自分が今まで止むを得ずブロックしてきたのは、異端とかカルトとかでない、「正統派」の人たちばかりなのだけれど?

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