#新しい教会様式

2020年6月1日月曜日

教会生活あれこれ

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 コロナ禍はまだまだ収束が見えないけれど、一応緊急事態宣言は解除され、自粛・休業要請も段階的に緩和されつつある(2020.6.1現在)。この間オンライン礼拝に移行していた教会も、感染対策に留意しつつ、会堂礼拝を再開しようとしている。

 オンライン礼拝に対する見方は教会によって様々。が、あくまで「急場の一時しのぎ」「止むを得ない場合の代替案」という見方が多いように思う。
 個人的には、日曜日に教会に物理的に通えない人のためにオンライン礼拝は続けてほしいし、「代替」みたいな扱いはやめてほしいな、と思っている。

 しかし中には聖書を引用して、「同じ場所に集まることなしに教会は存在しない(要約)」と言う人もいる。あくまで物理的に一箇所に集まって、みんなで礼拝を捧げるのが教会ってもんだよ、と。集まることの良さは確かにある。全く否定しない。けれど同じ場所に集まらないと教会じゃない、は言い過ぎだと思う。
 確かにネットも電話もなかった時代は、物理的に集まる以外に「集まる」方法がなかったから、「教会に集まる」のが必然だったと思う。けれど今はネット経由で「集まる」こともできるのではないだろうか。

 同時に「ネットの集会はリアルの集会には敵わない」のも現時点では確かにそうだと思う。しかし更に技術が進み、リアルな臨場感、リアルな交流感が実現されたら、物理的に集まる/集まらないの問題は限りなくゼロに近づく。

 様々な理由で教会という建物まで行けない人たちに礼拝の機会を提供できるのは、大きなポテンシャルだ。それを切って捨てて「物理的に集まること」に固執することで、教会の未来は開けるのだろうか。むやみに狭めるだけのようにも思う。

「オンライン化することでネット環境のない人たちを置いてけぼりにしてしまう」というのも、現段階では残念ながらそうだと思う。ただ20〜30年後はネット黎明期の世代が老年期に入り、ディジタルネイティブが主流を占めるようになる。その時はもうそういう話でなくなっているはず。

 繰り返すが、物理的に集まることを否定するものではない。教会堂に集まってみんなでリアルに礼拝したり交流したりするのはいいものだ。ただ、それができない人たちをネットで取り込んだ方がもっと教会が広がるのでないかな、という話。

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