牧師夫妻の働き方改革求ム

2020年5月29日金曜日

教会生活あれこれ

t f B! P L
 ツイッターでウザ絡みされてもブロックすれば済むけれど、たとえば教会と同じ敷地内に住む牧師さんがリアルにウザ絡みされたら、クリック一つで追い払うわけにいかない。それこそ24時間粘着されて、悩まされかねない。そういうことでメンタルをやられてしまう牧師さんも多い。教会も働き方改革が必要だと思う。

 そういう悪質な粘着でなくても、信徒からの相談や依頼が24時間365日引っ切りなしで、疲れ切ってしまう牧師さんもいる。引退後も固定電話の音を聞いただけでパニック発作を起こしてしまう、という人もいる。

 ただ牧師さんも様々で、24時間365日の対応を自らの誇りとする人もいる。それに慣れている信徒は「牧師が24時間対応するのは当然」と考える。しかしその陰で、本当は24時間対応なんて無理、自分や家族との時間がほしい、と思っている牧師さんもいる。牧師さんに期待しすぎない、依存しすぎない、という姿勢が信徒に必要ではないだろうか。

「牧師の召命を受けたのだから、それくらい耐えて当然」という厳しい意見もあると思う。けれどそれは単に教会の伝統や習慣の話であって、聖書が教えることではない。それに牧師さんがワークライフバランスを保てていつも笑顔でいてくれる方が、結果的にみんな幸せになれるはず。それともいつも忙しそうで疲れ切っている、悲壮な雰囲気の牧師さんの方がいい?

 同じ話が「牧師夫人」にも言えて、「牧師夫人はこうあるべき」とか「牧師に嫁いだんだからそういう覚悟があって当然」とかいうのも、単に伝統や習慣からきていると思う。まるで「おしん」みたいな世界。
 それでも真面目に頑張ってしまう人や、むしろ自ら進んで「教会のみんなのお母さん役」になりたい人もいて、それ自体は尊いことだけれど、みんながみんなそうできる(したい)わけではないことは知ってほしい。

 ステレオタイプな「牧師像」「牧師夫人像」を押し付けるのは、そろそろ終わりにするべき。むしろ(現状を考えると)、信徒の方から「休んで下さい」「来ないで下さい」と言えるくらいがちょうどいいと思う。

 24時間365日いつでも喜んで信徒のもとに駆けつける牧師さんは本当にすごいし、尊敬する。けれど「それで信徒は自立できているか」という視点で考えてみることも、大切ではないだろうか。

QooQ