教会で嫌な思いをした人たちに最も必要なこと

2020年5月6日水曜日

教会生活あれこれ

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「女性を大切にしよう」とか「みんなそのままで愛されている」とか普段から言っていた牧師が問題を起こしてみんなから抗議された時、女性信徒に対して「あなたは黙っていなさい。あなたの意見など聞かない」とはっきり言ってて、ダブルスタンダードとはこのことかと実地研修を受けた気分になった。

 その一件だけでなく様々なことが同時期に起きて、自分の中で牧師が「神の代弁者」から「ただのミソジニー男」になった。その落差が大きすぎて、しばらく自分でもどうしたらいいかわからなかったよね。ただ少なくとも普段の顔や、聖職者という肩書だけで信用してはいけないことはよくわかった。

 その後ブログやツイッターを始めて数年かけてわかったのは、良い牧師さんもいればそうでない牧師さんもいる、というごく当たり前のこと。ただどんな当たり前なことも、自分で体験して実感してみないとなかなかわからない、というのはあると思う。

 だから牧師(あるいは司祭など)という肩書だけ見て嫌ったり敵対したり、逆に好きになったり信頼したりすべきでなくて、あくまで自分と同じ人間として、長所もあれば短所もある不完全な人間として見るべき。それ自体も当たり前のことだけれど、やはり人間何かしらの色眼鏡を持っていて、それを通して見ていると思う。

 自分と同じような体験をした人の多くは、牧師と聞いただけで拒絶反応や嫌悪感を抱くと思う。それは仕方のないこと。ただ反動として出ている部分も大きく、何の関係もない牧師さんたちにとってフェアでない反応なのもわかる。人間の心の動きは単純でないし簡単でもない。

 ただ受けてしまった衝撃や傷や被害は厳然とそこに存在していて、「全ての牧師がそうなのではない」とか「全ての教会がそうなのではない」という正論をいくら聞かされても、あるいはいくら自分でわかっていても、どうしても心から納得できない、という状況はできたら理解してほしい。

 そして教会で嫌な思いをした人たちに必要なのは、「癒されるよう祈ります」とか「回復してまた教会に集えますように」とか「聖書のここにこう書いてあります」とかの言葉でなく、そういう心の状態をありのまま理解してもらうことだと自分は思う。

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