猿に謝ってくれ

2020年3月9日月曜日

ID論と進化論

t f B! P L
 キリスト教界の一部で密かに繰り広げられているのが、創造論vs進化論の戦い。

 いつ頃からか創造論はID論(インテリジェント・デザイン論)と呼ばれるようになっているけれど、中身は同じで、生物は進化するのでなく、全て知的創造者(=神)によってデザインされたのだ、という説。
 なので今はID論vs進化論、か。

 そのID論者が進化論への反駁によく使うのが、エントロピーの法則。
物質はより無秩序な状態へ変化していくのだから、より複雑かつ精巧な生命体へ進化するという進化論は矛盾している」みたいな感じ。

 ただその言い方は、エントロピーの法則を正しく理解しているとは言えない。詳しくは自分で調べてほしいけれど、エントロピーが増大するのは閉鎖系の中での話であって、生命体にそのまま当てはめられる話ではない。
 エントロピーの法則を少しかじっただけで全部理解したつもりになっているから、簡単にそう言ってしまうのだと思う。

 またID論を支持する教会の人たちの多くは、進化論のおかしさとかID論の正当性とか、ちゃんと説明できないことが多い。リーダーとか偉い人たちとかの話を鵜呑みにして、「とにかく進化論は間違っている。生命は神様が創造したんだから」みたいな感じで納得しているから(自分もそうだった)。

 ID論はなんとなく科学的に見せているけれど、わからないところは何でも「神のみぞ知る」で片付けることができてチートだと思う。それに進化論と対立することでフィフティ・フィフティの印象を与えてるとこにも注意した方がいい。

 かと言って進化論が絶対正しいのではない。それはあくまで学説に過ぎない。研究中の説だから、「信じる/信じない」という話ではそもそもない。
 その点、ID論は信仰と密接に繋がっている。支持者は絶対に正しいと信じている(でないと自分の信仰を否定することになってしまう)。
 要は「信仰」であって、「科学」でない。なのに科学のフリして進化論と対立している、という変な構図がある。

 ID論推しのクリスチャンがよく言うのが「人間がたまたま猿から進化したなら我々の存在は無意味だ。しかし本当は神様が一人一人に意味と価値を持って下さっている」というものだ。けれど無意味に殺されていく子や、理不尽な目にあって死んでいく子が後を絶たない現状に対して、どれほどの説得力があるだろう。

 それに「猿から進化したなら我々の存在は無意味だ」というのは、猿に対して失礼だと思う。猿にだってちゃんと生きる価値があり、個性があり、温泉を楽しんだり芸を披露したり、サル社会の中でいろいろ葛藤したりしているのだから。全然無意味ではない。
 猿に謝ってくれ。

 もちろんID論を信じることで、「神が自分を作って下さった。だから自分には生きる意味がある」とポジティブに思えるのは良いことだ。それがその人の「救い」になるなら、大いに結構だと思う。
 ただそれが科学的に証明された何かではなく、信仰に基づいたものであり、他人に押し付ける種類のものでない、ということは忘れないでほしい。

QooQ