聖書はシンプルに読むべき? あるいは悩み続けるべき?

2020年2月3日月曜日

教会の「健康」

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 また一部のクリスチャンに喧嘩を売るかもだけど、聖書のこの部分はこういう意味だ、他の解釈は有り得ない、と断言するのは危険だと思う。シンプルで明確な箇所は良いとして、大抵の箇所はいくつかの可能性を念頭におきながら、生きてて体験する様々なことと照らし合わせて、「この箇所は本当はどういう意味なんだろう」「本当に言いたいことは何だろう」とあれこれ悩み続けた方がいいと思う。

 カルト化の兆候の一つは「シンプルさ」で、何でも簡単に決めつけることで、信徒にあれこれ考えさせなくする。もう一つは「忙しさ」で、やっぱりじっくり考えさせなくする。だから「本当にこれでいいんだろうか」と時々立ち止まって、自信がなくても自分の頭で考えて、あれこれ悩むのはすごく大切(自分の頭で、というところが特に大切)。

 カルト化とまで言えなくても、一つの解釈に固執することで、伝統的に習慣的に行ってきた人権侵害の類をそのまま放置することになってしまう。自分が信じている事が、ある属性の人達を恒常的に傷つけたり疎外したりしているとしたら、それ自体が「キリストの教え」と矛盾している。そこは考えればわかるはず。

 こういう事を言うと「伝統的な教えに逆らうお前はクリスチャンとは言えない」みたいに一部から言われるんだけど、伝統か人かと問われたら人を取りたいし、それで失格になるなら失格でぜんぜん構わない。失格の烙印を押された者どうしなら、地獄でも構わない気もする。

 むしろ口汚く罵ってくる「クリスチャン様」たちと一緒に過ごす「天国」って、実は「地獄」なんじゃない?

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