聖霊を侮るなかれ……?

2020年1月20日月曜日

「聖霊」に関する問題

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「集会前に子どもたちが騒々しくしているのを見ていたら、聖霊に促されて、声を上げて怒ってしまった。しかし皆ちゃんと聞いてくれて、静かにしてくれた。やはり聖なる怒りは人の心にまっすぐ入っていき、正しい悔い改めへ導く」

 という話を聞いたことがあるけど、いきなり怒鳴りつけられたらとりあえず黙るしかないと思う。特に子どもは。

「聖なる怒り」とか「義憤」とかいう言葉で大人が自分の癇癪を正当化するの、やめた方がいいと思う。特に教会のトップがそれをやってしまうと誰にも止められない。単立のプロテスタントではなおさら。また、そうやって育った子どもたちの中には、大人になってから同じことをやってしまうのが出てくる。負の再生産。負の教え。

 あるキリスト教団体の新しいトップも、自分の思い通りにならないとすぐ怒鳴る人だった。自分では「これは義憤だ。本来の自分ではない」みたいに言ってたけど、
 なぜ自分の側がいつも「聖霊の側」で、「神の側」で、「正義の側」なの?
 なぜ相手がいつーも「惑わされている側」で、「わかってない側」で、「悪の側」なの?
 それは「神」や「聖霊」を利用することではないの?

「困ったら聖霊の助けを借りればいい、とか簡単に言ってる人がいたけど最強かよ」

 というツイートをしたら「聖霊を侮るな」というコメントが飛んできたけど、何でもかんでも「聖霊の促し」にしたり「聖霊の助け」にしたりして、「聖霊=便利屋」みたいに扱う方が「聖霊に対する冒涜」なんじゃないのかな、と思う。

追記)
「ふみなるさんは一つ間違ってますよ、日本基督教団の教会もカルト化しますよ」というコメントをいただいたけれど、日本基督教団やその他の教団教派の教会はカルト化しない、などと書いたことは一度もない。むしろ「どの教会もカルト化する」と繰り返し書いてきた。まだ言い足りないようなので、これからも書き続けないといけないなと思った次第。

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