「自分を大切にすること」と「自己中心」は違う

2020年1月14日火曜日

雑記

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「自分自身を愛せないと他者をも愛せない」と教会で言われることがあると思う。
 けれどそもそも、「自分を愛する」ことが何なのかよくわからないのではないか。
「自己中心ではいけない」とも言われるから、余計に。

 だからまずは、時間をかけて髪を洗うとか、肌に丁寧にクリームを塗るとか、そういう物理的なお手入れで、自分自身を労ってみたらいいと思う。大切にすることは、要は愛することだと思うから。

 ではこれにはどう対処したらいいのか。

「自己中心は罪だ」
「自分を無にして神に仕えなさい」

 これで自分のことなど二の次三の次にして、奉仕しまくってしまう人がいる。それ自体は尊敬すべきことかもしれない。けれど「奉仕しない自分には価値がない」「皆の役に立たないと認めてもらえない」みたいな自己認識だとしたら、残念ながら不健全だと思う。頑張れば頑張るほど、歪みが大きくなってしまうかもしれない(また他者にも奉仕を強要するようになってしまうかも)。

「自己中心は罪だ」は一見正しいようだけど、そもそも人間誰しも自己中心の塊だし、どうやったってそこから離れられないのだから、それを否定しても苦しいだけだと思う。「無私の奉仕」にも自己満足が隠れている。そういうのを全部認めて、「これが自分です」ってところから始めないと、何をやっても嘘っぽいのではないか。

 だからまず自分自身を(物理的に)大切にして、ケアして、自尊心をちょうどいいところに保つことから始めたらいいと思う。特に日本人は自尊心の低い人が多いから。自分を大切にすることは、自己中心とは違う。

追記)
 教会の教えをないがしろにしていい、という話でなく、まず受け取る側の自己認識が大切ですよ、という話です。

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