「人は何のために生きるのか?」
という人生の大命題について、
「クリスチャンなら『神様のため』と明確に言える」
と豪語する牧師さんがいた。ある集会で小学生たちに、
「みんなは神様のために生きてるんだよ。わかってるよね?」
と笑いながら言っていて、洗脳教育みたいで正直怖かった。
こんなふうに子ども相手だと「それは神様が喜ばない」とか「それは神様が悲しまれる」とか、わりと簡単に言う大人がいるけれど、そんなことなんでわかるの? という危機感を覚える。そういう教育を受けた子どもたちも将来同じことを言うようになってしまう。その連鎖で形成される教会ルールみたいなものがあるよね。
だから幼いうちからガチガチに宗教教育しちゃうのもどうだろう、と正直疑問に思う。
「聖書にこう書いてあるからこうなんだ」というのが、実は「そう教えられてきたからそうなんだ」という代々の解釈の引き継ぎでしかないことがある。それ自体は問題ではないけれど、キリスト教の場合、差別的な解釈もそのまま「神の命令」として引き継がれてしまう面がある。そこは個々が考えないといけない。
それに「神様のために生きる」は綺麗で信仰的な台詞だけど、具体的にどういうことなの? という点はみんなどう考えるのだろうか。あるいは教会なり教団なりに定義があるのだろうか。他にも「神様を第一とする」とか、「自分の十字架を負う」とか、本気で言うのだとしたら、具体性がないと意味がないと思う。
「神様を第一とします!」
「それって具体的にはどんなこと?」
「神様を第一とすることです!」
みたいな感じだったら、某大臣の「問題だから問題だと思う」と同じだよね。
神さま第一にするはカルトの入り口です。
返信削除神は偉大なりと言いながらテロを起こすのと同じ。神の想いを人間にはわからない。独善になっていないか示して頂くことを祈る謙虚さが大切と思います。
あの悪名高き、弟子訓練の勧誘は、神様第一の生活でした。カルトの勧誘に使われます。