礼拝されるのを今か今かと待っている神様……?

2019年12月10日火曜日

教会生活あれこれ

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 会員数10名くらいの教会で、10時からの礼拝にみんな5分とか10分とか遅れるのが普通になっていた。牧師さんが気を遣ってか、あるいは無人の会衆席に向かって話すのが嫌だったからか、みんなが揃うまで礼拝を始めない時期があった。礼拝の開始時間という決め事は何なのか。

 聞いた話だけど、ブラジル系や東南アジア系の教会は礼拝開始時間は「ある程度」決まっているものの、みんな三々五々集まってきて、賛美を歌っているうちに「なんとなく」礼拝に突入するらしい。それはそれでいいけれど、早めに行ったらやたら長い礼拝になってしまいそうだよね。

 礼拝時間をキッチリ守るというのは、電車の発着時間やテレビの放送時間をキッチリ守る日本人の国民性の表れかもしれない。

 一方で「主を待たせてはいけない」と言って礼拝時間を厳守する牧師さんもいる。遅れてくる信徒は当然のように叱る。礼拝は始めから終わりまでキッチリ捧げるものだ、という考え方。しかし、遅刻しただけで怒られる教会ってどうなんだろう。自分だったら絶対行かない。

 そもそもの話、神様は礼拝時間についてどう考えているのだろうか。 聖書に「礼拝は毎週日曜日の午前10時から1時間から1時間半持つこと」みたいな決め事があったらわかりやすい。けれどそういうのはないよね。

 週1回という頻度も、日曜であることも、午前中であることも、もっと言えば礼拝の内容や手順も、神様でなく、人間の側で決めたことでしょう。それなのに「神様を待たせてはいけない」とはどの口が言えるのか。

 よく考えてみると、「礼拝されるのを今か今かと待っている神様」とか嫌だなと思う。そんなガツガツしてるの神様って?

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