「いつまで過去にこだわってるんだ」と前を向くよう強要する人がいるけれど、こだわらざるを得ない理由や、訴え続けないきゃいけない事情がある。たとえば伊藤詩織さんのように。仮に「過去に縛られている」のだとして、それは縛られた側が悪いのでなく、縛った側が悪いんでしょ。文句はそっちに言って。
教会被害についても「いつまで言ってるんだ。神を信頼して前に進みなさい」みたいに言う人がいるけれど、そうやって被害者たちを責めて黙らせるから、延々と新たな被害者を生み続けてしまう。あなたがたの大切なキリスト教会の中で。特に一部の教会は、うまく適応できた人たちだけの王国になっている。適応できない人たちは我慢するか出て行くしかない。だとしたらキリスト教会って何。
また教会で起こったありのままを書くと「それは教会でなくエホバだ」と真っ向から否定してくる人もいるけれど、一部の(正統派キリスト教を標榜する)教会群ではとんでもないことが日常的に起こっている。その意味でエホバもキリスト教もあんまり変わらない。あなたが単に知らないだけ。
自分がこういう発信を続けるのは、教会や神様が嫌いだからでなく(正直言うと教会はちょっと嫌いだけど)、新たな被害者をできるだけ減らしたいから。それを否定し、被害をないもののように見せたい人たちこそ教会を破壊し、神様を愚弄していると思う。
最近も「クリスチャンもどき」と言われたけれど、もどきはどっちなの。
というわけで冒頭の話に戻ると、「いつまで過去にこだわってるんだ?」なんて言われる前に、「いつまでこだわり続けさせるんですか?」とこっちが問いたい。
伊藤詩織さんの件で私はfuminaruさんが以前に書かれていた「女性は教会で男性を刺激しない服装をするよう注意しなければならない」についての疑問を想起しました。本質的に同じ価値観から来ているように思います。
返信削除今回の民事訴訟の判決は海外メディアが多く取り上げていますが、ちょうど世界経済フォーラムの“ジェンダーギャップ指数”で153か国中121位のランク付けが発表されたタイミングだったので、それも含めて言及した海外記事もありました。
合意とは何か、レイプの構成要素が何であるかの認識が根本的にずれていることが、大きな問題であるのに、それに向き合わない国、そして、それはセクシャルハラスメントにおいても同じことが言えるのかもしれません。
フニマルさん
返信削除私も、牧師の不誠実さに疑問を感じ、また傷つき、教会を出た者です。
別の教会に転会し、なんとか礼拝は守っております。
でも、以前の教会で受けた傷はなかなか癒えません。これは時間が解決するものでもないのかもしれません。
いつまでこだわり続けるのか、と私も言われたことがあります。
でも、私はこれからもこだわり続けると思う。自分の中で芽生えた以前の教会の牧師への不信感はいつまでも心に残ると思う。時間が経てば経つほど、冷静に考えれば考えるほど、自分が牧師に感じた違和感はけっして間違っていないと思っているから。
私も、フニマルさんと同じく、神さまは決して嫌いじゃない。嫌いじゃないどころか大好きです。フニマルさんと同じく教会はちょっと嫌いになったけれどね笑
フニマルさんもこだわり続けていいと思う。こだわりを通して、真実にたどり着くことができると思う。
私は、以前よりも、ほんの少しは「自分の頭で考えることのできる」クリスチャンになった気がしています。それは、「こだわり続けているから」です。
応援しています。
記事の内容も、皆様のコメントも、本当に分かりみが深すぎて卍です
返信削除←最近教わった言葉笑
神様にはいつも、その時のそのままの、ありのままを受け止めて頂いているというのに、なぜ自分の勝手な時間軸(もしくは物差し)で偉そうに物言えるのでしょうね。
今のこの瞬間、右へも左へも、上にも下にも行くか分からないような不安定な自分と共に居てくださるのが主で、昔傷ついた時にも確かに、主は共にいてくださったのです。そこにこそ平安がある。
私もずっとブログ主のファンです。
これからも生きた証をお聞かせくださいね(^ ^)