何事も初めのうちが肝心

2019年11月28日木曜日

教会生活あれこれ

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「油注ぎ」を強調する教会があって、祈るだけでなく実際にオイルを注ぐことに意味があるんだ、特にイスラエル産のオリーブオイルがいいんだ、と言ってわざわざ海外から取り寄せたオリーブオイルをあちこち塗りたくってるのを見たことがあるけれど、何の御利益宗教だろうね。

そういう教会もHPに「正統なプロテスタントのキリスト教会です」「モル◯ンとは関係ありません」みたいなことを堂々と書いているから、教会って入ってみなきゃわからないギャンブル的要素がある。特にプロテスタントはいろいろ。

これは誤解の多い点なので何度でも書くけれど、宗教生活を送るなら、正統を謳うカルト教会より、異端でも縛りが少ない教会の方が全然良い。前者にいると下手したら人生が破壊されてしまう。 それに正統と異端の区別なんて案外恣意的だし、そこには(正統側の)優越感や差別意識も混ざっている。

そういう「正統」だってカルト化するし、「カルト化してます」と認めるカルトなんて存在しない。

何であれどこかの教会の構成員になって、ある程度コミットして、それから教会のおかしな部分に気付いてしまうと、選択しなければならなくなる。黙認して自分もおかしくなるか、指摘して窮地に立たされるか。たとえばイスラエル産のオリーブオイルを有難がるか、いやそんなのキリストの教えじゃないと指摘するか。

この場合、「おかしくなる」というのは「信仰的になる」という意味で、「指摘する」というのは「不信仰」や「不従順」という意味。あくまでその教会の中では、の話だけど。

カルト教会にも似たような面がある。入信当時はチヤホヤされて、和気藹々で楽しいんだけど、夢中になってコミットしていくうちに「あれ?」という違和感にぶつかる。しかしもう構成員としての責任があるから、後戻りできない。そうやって初めの小さな違和感に目を瞑ってしまうと、あとで大きな違和感にぶつかっても、何も言えなくなる。

何事も初めのうちが肝心。

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