教会の一致、という名のファシズム

2019年10月10日木曜日

教会生活あれこれ

t f B! P L
教会の一致、クリスチャンの一致とよく言うけれど、一致とは何かを突き詰めて考えると、よくわからない。みんなが同じ意見、同じ考え方、同じ価値観を持つことだとしたら、それはファシズム。いろいろな意見や考え方がある中で、その都度話し合ったりぶつかったりしながら進めていく方が健全だと思う。

意見や考え方は違うけれどそれぞれ尊重します、というスタンスで。

小学生の頃、運動会の行進の練習を散々したのを覚えてる。みんなで出す足を揃えて、同じ歩幅で、笛の音に合わせて、1、2、3。さほど難しくもない。しつこく反復する意味がわからなかった。先生は協調性や和の心を身に付けるためだと言ってたけど、そんなんで協調性とか和の心とか身につくの?

むしろそういう集団行動を学校のいろいろなところで(授業で、学活で、体育で、掃除で、etc...)強制することで、みんなを無個性な同質集団にしようとしていた気がする。まさにファシズム的な一致。

誰かが言ってたけれど、人間とは本当には一致できない生き物だと思う。
「話せばわかる」こともあるけれど、「いくら話してもわからない」こともある。
「みんなと仲良くしよう」は幻想で、「距離をとった方がいい相手もいる」が現実。
そいういうことを、できれば小学校の早い段階で教えてもらいたかった。

一部の教会には、一致の名の下に信徒たちを無理やり従わせ、我慢を強いるような側面がある。「神のための一致」とはよく言ったもの。本当は神でなく、組織のための一致でしょ。

みんな意見も考え方もそれぞれなんだから、無理に合わせようとしないで、その中の最大公約数を探したらいいと思う。ピタリと重なる「一致」でなく、対等な立場でを得る「合意」の方が、今の自分はしっくりくる。

だって教会ってファシズム養成所じゃないでしょ?

QooQ