スペインのモバイル見本市で、ICチップの皮下埋め込み実演があったそうです。
(Twitterのリンクなので、見られない方がいらっしゃるかもしれません。)
https://twitter.com/reuters_co_jp/status/1100693270743650307?s=21
何も持たずに決済ができるようになるという意味で、究極のキャッシュレス化でしょう。
ただこれはほんの一例です。欧州の一部ではキャッシュレス化が猛烈に進んでいるようで、もはや現金払いできる店を探す方が大変な地域もあるとか。
時代の流れですね。
一方で、日本はキャッシュレス化がいまいち進んでいません。ナントカpayとかのサービスが乱立していますが、結局「どの地域でもどの店でも使える電子決済」を実現するには(現段階では)何枚ものカードや、いくつものアプリを持っていないといけません。だったら現金で払った方がむしろ楽ではないか、と私なんかは思います。
ちなみにキャッシュレス化がいまいち進まなくても、セルフレジが増えてくれれば、それなりに便利になるんじゃないかなと(私感です)。
ところで「ICチップの皮下埋め込み」という技術に、聖書の黙示録を連想する方がいるかもしれません。主にクリスチャンの方でしょう。「獣の刻印」とか「666」とか、「その印がないと何も買えなくなる」とか、そういう表現を想起するのだと思います。
「はじめのうちはただのICチップでも、徐々に人間を支配する側面が出てくるのではないか。悪魔は狡猾だから、便利さの影で、ひそかに働いて事を進めるのではないか」
みたいに思う方もいるかもしれません。
私自身、聖霊派教会で頑張っていた頃は、そんなふうに考えました(そんなに昔の話ではありません)。とにかく終末思想が色濃い教会でしたから。「携挙」とか「患難時代」とかのワードが頻繁に取り上げられていました。
たしかに、埋め込み型ICチップが「獣の刻印」でない、と断言することはできないでしょう。
しかし一方で、そうであると断言することもできないでしょう。
なんとも言えない、というのが正確なところではないでしょうか。「神に直接語られたんだからICチップは獣の刻印なんだ」と言い張るのも自由ですが。
ただ終末を考えるうえで大切な点の一つは、黙示録の記述をその時その時の世界情勢に重ね合わせてもあんまり意味がない、ということです。
たとえば数年前、イスラエルとガザ地区の対立が激化した時、「これは患難時代の始まりだ」と言う人が何人もいました。
その数年前には(根拠は不明ですが)「もうすぐ携挙が起こる」と言う人もいました。
実は私の教会も、もう10年くらい前ですが「患難時代が始まる」と言っていて、皆本気で信じていました(患難時代とっくに終わってますよ!)。
もっと時代をさかのぼるなら、1948年のイスラエルの再建国時も、終末思想が強まったようです。
あるいは14世紀にヨーロッパでペストが大流行した時もそうです。
もっと言うと1世紀のパウロたちも、自分たちの時代こそ終末だと考えていました。
たぶんどの時代にも、「自分たちの時代が終末だ」と考える傾向があったのだと思います。黙示録がいろいろなふうに解釈できるのも、その原因の一つでしょう。
では、私たちのこの時代は、本当に本当に終末なのでしょうか。
ICチップ、いかにも終末感がありますね。他にも様々なものの電子化。インターネットによる世界の近隣化。進む環境汚染。資源の枯渇。迫りつつある食料危機。地球温暖化。どれもこれも終末感満載です。しかし、だからと言って「終末だ」と断言することはできません。さらに時代が進み、テクノロジーが進み、今の私たちが想像すらできない世界になるかもしれませんから(人類の歴史はその繰り返しだったはずです)。
「そんなことを言っていると、終末が始まった時に後悔するぞ」という意見もあるでしょう。
しかし本当に黙示録にあるような世界規模の破滅が始まったなら、私たちに何ができるでしょうか。
7年分の食糧や生活必需品を蓄えて、シェルターに籠って生活すれば安泰でしょうか。しかし空気や水が汚染されたら意味がありません。ではフィルターや浄化システムがあれば大丈夫でしょうか。しかしイナゴのような虫が大量発生したら、フィルターが目詰りするでしょう。たとえそうならなくても、星が落ちてきたらひとたまりもありません。地面が割れたらおしまいです。
なんて、SFスペクタクルみたいな話ですが。
私が言いたいのは、安易に決めつけてはいけない、ということです。
今はICチップが時代の先端かもしれませんが、この先もっとすごい、もっと想像できない技術が登場することでしょう。10年後には「ICチップなんて古い」と言われるかもしれません。そうしたら「昔はICチップを黙示録と結びつける発想があったらしいよ」なんて、笑われるのではないでしょうか。
その時その時の世界情勢を見て「携挙が近い」「患難時代がはじまる」「終末だ」と主張してきた人たちは、今は鳴りを潜め、そういうことを言わなくなっています。その意味を考えてみることを、僭越ながらお勧めしたいと思います。
欧米では急速にキャッシュレス化が進んでいる、とニュースで聞きました。
返信削除その背景に盗難が多すぎて現金を持ち歩くのは危ないからだという理由らしいですね。
聖書の記述とかは全く関係ないですよね。必要があるからICチップを導入しようという流れになっているだけですよね。
日本でもキャッシュレス進んでほしいなぁと思います。100円ショップでもカード使いたいです^^;;カード払いが便利過ぎるので~(笑)
>黙示録の記述をその時その時の世界情勢に重ね合わせてもあんまり意味がない、ということ
これめっちゃ分かります!
「ただ聖書のみ」と言って自分で考えない、情勢を知ろうとしないとなったら終わりだと思います。
なんでもかんでも陰謀論的に考えるのもどうかと思いますね。
削除自分もキャッシュレスどんどん進んでほしいと思います。レジで並ぶのも小銭もつのもそろそろやめにしていいんじゃないかと 笑
こんばんは。おっしゃるとおり、なんでもかんでも陰謀論に結びつけるのはどうかな、信仰者として落ち着いた姿勢ではないと思います。
削除しかし、個人的にはキャッシュレスには反対の立場です。もし仮に社会がそういう方向に進んだとしてもわたしはキャッシュレスにどっぷり漬かりたくないなあ。
なぜかというと、経済はある意味社会のなかの信頼関係で成り立っている部分もあると思うからです。
もちろん不正や不良品を高値で売りつけるようなものもありますし、詐欺や悪徳商法、また、お金を信仰のはかりにするようなものもありますね。
けれど、商売、またわたしたちがもらっている給料というのは、労働の対価であるとともに、信頼がないと成り立たないのではないでしょうか。もちろん労働に見合った金額であるかどうかはまた難しいものですが。
キャッシュレスは便利なようでいて、どこかでごまかされたり不正が入り込んだりしないかなって、懐疑的不信感を抱いてしまいます。年のせいかもしれませんが。
スマイル
刻印がないと買い物ができないという状況が成立するためには現金が使えなくなる必要があるわけですから、結局は現金でチャージしたり後で銀行から現金で引き落としがされたりする方式である限り現金の価値は維持され、獣の刻印にはなり得ないと思います。
返信削除資本主義社会が根本的に身分や信用の違いに関わらずお金のある人に平等にサービスや物を提供しなければならない社会である以上、全世界が共産主義になるとか一部の人が提唱してる信用経済みたいなものが実現するとかでない限り獣の刻印的なものは生まれないんじゃないですかねえ。
政府発行の配給クーポンがないと物が買えないなんていうのは少しそれっぽいですし。
たしかに「あるグループだけ買い物できなくする」というのは技術的、政治的、社会的に難しいものがあるでしょうね。そういう仕組みを作っても抜け道ができそうですし。そのへんを安易に考えてしまうのも、「ICチップ=獣の刻印」派の盲点かと思います。
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