キリスト教に入信した人(救われた人)に掛けてはいけない(と私が思う)台詞

2019年1月3日木曜日

教会生活あれこれ

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 かつて教会で感じたモヤモヤを、ちょっと書かせていただきます。

 教会で、新しく救われた人(入信した人)に向かって、

あなたの救いを長い間祈ってきました!
◯◯さんがあなたの為にずっと祈ってましたよ!

 などと言うことがありますが、恩着せがましいなあと私は思っていました。そう言いたくなる気持ちは、わからなくはないですが。
 でも言われる方の立場で考えますと、え、感謝しろってことですか? と感じるのではないでしょうか(私だけ……?)。あるいは「この人が祈ってくれたから自分は救われたんだ」と考えるようになってしまい、相手に対して生涯頭が上がらなくなってしまうかもしれません。それはそれで良くないですよね。

 ある信徒さんが、弟さんと甥っ子を教会に連れてやって来ました。弟さんも甥っ子も未信者です。というか甥っ子はまだ赤ちゃんです。
 なぜ連れて来たかというと、その赤ちゃんが病気だったからです。父親である弟さんは「教会で祈ってもらえば治るから」と信徒である姉に言われて、すがるような気持ちでやって来たのでした。

 その事情を聞いた牧師や他の信徒たちが、礼拝の中で、赤ちゃんの「癒し」を祈りました。
 赤ちゃんはその後も良くなったり悪くなったりを繰り返しましたが、その時はちょっと快方に向かいましたから、教会では「主が働かれた!」と大盛り上がりでした。

 しばらくすると、その弟さんが赤ちゃんを連れて、お礼にやって来ました。入信する気なのでなく、あくまで祈ってもらったお礼として、です。
 ほとんどの人が「癒されて良かったですね」みたいな言葉を掛けたと記憶しています。が、ある古参の信徒がこんなことを言ってしまいました。

「癒しを経験したのだから、イエス様を信じるのが筋ってもんじゃありませんか?

 そう言われた時の弟さんの複雑な表情を、今もはっきり覚えています。良い気分ではなかったでしょう。私だったら「何言ってんだこの人」みたいに思ったはずです。ずいぶん恩着せがましいなあと、今振り返っても思いますね。その信徒が「癒した」わけでもないのに。

 冒頭の「あなたの救いを長い間祈ってきました!」にも、同じような恩着せがましさを感じるわけです。本人は純粋な気持ちで言っただけかもしれませんが。

 そもそもの話ですが、「これだけ祈った」「こんな長期間祈ってきた」みたいな話は、他人にすべきでないと思います。イエスも福音書の中でそういう意味のことを言ってますよね。「祈り」にしても「献金」にしても「断食」にしても、人に知られないようにやりなさい、と。

 それともう一つ。
親の救いのために40年祈ってきましたが、先日ついに救われました!

 みたいに言う人もいますが、私はこの台詞もどうもモヤモヤします。
 というのは「救いのために長い間祈ってきた」というアピールの背景には、「長い間祈ったから救われたんだ」という考え方が混じっている気がするからです。つまり「自分が頑張って祈り続けたから救われたんだ」→「頑張れば人を救えるんだ」みたいな。

 実際のところは、全然祈らなくても相手が勝手に入信したかもしれないし、60年祈っても入信しないまま他界したかもしれません。それは誰にもわからないことです。なのに「長年祈ったから救われた」と言ってしまうと、「救いは人間の側でコントロールできるものだ」という話になってしまいます。実に不遜ではないでしょうか。

 というわけで誰かがキリスト教に入信した時は、単純に「良かったですね」とか、「これから一緒に教会生活送りましょう」とか、そういう声掛けで十分だと思います。仮にそのために50年祈り続けてきたとしても、そういう野暮なことは言いっこなしにしましょう。べつにあなたがその人を救ったわけではないのですから。

 というモヤモヤを、ちょっと書かせていただきました。気を悪くされたら申し訳ありません。たぶん同意して下さる方もいらっしゃると思うのですが……。

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