クリスチャンこそ大切にしたいバウンダリー(心の境界線)

2019年1月6日日曜日

クリスチャンのパーソナリティの問題

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 心の境界線(バウンダリー)について、皆さんどれくらい意識しておられるでしょうか?

 他者と自分を隔てる、目に見えない境界線です。一人の時はまったく気になりませんが、相手がいると自ずと見えてきます。
 たぶん多くの人が、ほとんど無意識的に相手との距離を測って、調整しているのではないかと思います。

 他者と適切な距離を置くことは、生きて行く上でとても大切です。近すぎても遠すぎても、あるいは支配的な関係でも被支配的な関係でも、依存的な関係でも被依存的な関係でも、上手く行きません。

 しかし現代社会を見てみますと、このバウンダリーのトラブル(他者の境界に無理に踏み込む・自分の境界に他者を入れ過ぎてしまう等)が、様々な問題を引き起こしています。
 たとえばDV、いじめ、モラハラ、パワハラ、セクハラといった各種ハラスメントの、加害者ー被害者の関係がそうです。

 あるいは親子関係では甘えやワガママ、過保護、放任、過干渉、各種虐待などがあるでしょう。
 恋人・夫婦関係でも、様々なトラブルが聞かれます。そこに根本的にあるのはバウンダリーの問題ではないかな、と私は考えています。

 何の統計か忘れてしまいましたが、職場で最も難しく、問題になりやすいのは、「人間関係」だそうです。たぶん教会においても、人間関係の快適さが(あるいは難しさが)、その人の教会生活全般に影響するのではないでしょうか。
 これは言い換えますと、個人個人が適切なバウンダリーを保つことができれば、それだけで多くの問題は解決する、ということです。ただ、それが難しいのですね(簡単であれば、とっくにもっと住みやすい世界になっていることでしょう)。

☆ ☆ ☆

 あるプロテスタントの牧師は、他者の境界線を平気で踏み越えるタイプでした。
 本人は「自分は根っからの社長タイプだ。つい人の面倒を見たくなってしまう」などと言っていましたが、そんな可愛いもんじゃありません。完全にパワハラ、モラハラ気質でした。

 たとえば奥さん(牧師夫人)に対する態度が完全にモラハラでした。よく人前で奥さんを叱り、怒鳴り、貶めていました。
「牧師夫人としての自覚が足りない」
「考えが浅はかだ」
「当然の気遣いができない」
「掃除が下手」
「言葉遣いがおかしい」
「考え方がおかしい」
「お菓子のチョイスが下手」
 などなど。ありとあらゆる点で奥さんのダメ出しをするのです。見ていて気の毒でした。

 また自宅では暴力も振るっていたそうです。しかも人にバレないように、顔面など、人目に付く部位は避けて殴っていたようです。奥さんの苦痛はいかほどだったでしょうか。

 その教会では他にも近しい信徒たちがパワハラやモラハラの被害を受けていましたが、例を挙げたらキリがありません。教会という狭く閉鎖的なコミュニティの中のことですから、余計に(牧師が)増長しやすく、(信徒が)文句を言えない状況があったと思います。

 またそこまで酷い例でなくても、牧師が信徒のプライバシーに突っ込み過ぎたり、逆に不当に拒絶したりと、バウンダリー関連の問題は教会で多く起こっています(よくそういう話を聞きます)。

 キリスト教会というと聖人君主の集まりみたいなイメージを(特に未信者から)持たれやすいですが、実際は人間の集まりです。いろいろと難しいことや困ったことがあるのは当然ですね。また牧師であれクリスチャンであれ、他者の境界線を無理に破ったり、あるいは破られたりといったことがあります。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という聖書の言葉の通り、自分自身を大切にし、同じように他者をも大切にする、という健全なバウンダリーをクリスチャンこそ保ちたいものですね。

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※本記事はメルマガ第52号からの抜粋・編集です。
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