「クリスチャン女性は露出の多い服装をしてはいけないのですか?」という記事を、意外と多くの方に読んでいただけたようです。ブログ以外のところからも複数のコメントをいただきました。まったく予想していませんでしたが、関心の高いトピックだったようです。
で、私の言いたいことは前回の記事と変わらないのですが、ちょっと気になるコメントをいただきましたので、もうちょっと掘り下げてみようかと思います。
気になったコメントというのはこれです。
「男子はガソリンタンクを背負っている。2人きりの時、女子のミニスカートはマッチを擦る行為」
男子は「情欲」というガソリンタンクを抱えているから、ちょっとした刺激(女子の露出)で爆発しちゃうんだよ、男子は大変な苦労をしてるんだよ、というご意見かと思います。はっきり書かれていませんが、だから女子は露出を控えて下さい、という結論なんだと思います。
男性擁護のコメントと受け取りました。やっぱりそういう意見もあるんですね。
でもそこまで危険性を自覚しているなら、女性と2人きりになるのを避ければいいだけですよね。「ミニスカートと2人きりになるのは危険」とせっかく認識できているのですから、あとはその危険を避ければいいだけです。違いますか。
それとも、ミニスカートの女性が悪いのでしょうか。悪くありませんね。ではミニスカートが危険なのでしょうか。いいえ、危険なのは男性の方ですよね。
あるいは、こう言うかもしれません。
「教会の奉仕の都合で、やむを得ず2人きりになってしまった場合はどうするんですか」
ちょっと待って下さい。教会の奉仕の都合で男女が2人きりになるって、いったいどういう状況ですか。通常そういうことが起こるのですか。それって意図的にそうしないと、ならない気がしますが。特に誰の目も届かない、密室状態には。
それに仮に、本当にやむを得ない事情で男女が2人きりになってしまったとしても、それはあくまで奉仕の席です。デートじゃありません。相手の服装がどうとか気にしないで、奉仕に集中して下さい。
と、私は思いましたね。
☆ ☆ ☆
私の結論は前回と一緒なのですが、女性の服装を制限しようとするのは、男性側の勝手な都合です。俺たちが辛い思いをするんだからお前ら我慢しろ、という話なのです。気づいていないかもしれませんが。
それにミニスカートの女性とか、露出の多い女性とか、街に出れば沢山いるでしょう。そういう人たちに、いちいち「露出は控えて下さい」とお願いして回るのですか? 回りませんよね。だったらなぜ、教会の女性にだけそれを言うのですか。
あるいは身体のラインがはっきりしている女性の場合はどうしますか。そういう女性は露出しなくても「刺激」になりますよね。サラシを巻いてフラットにしてくれ、と頼みますか? それとも俺の目に触れないように隅の方にいてくれ、と頼みますか?
それがどれくらい自分勝手なことか、わかるでしょうか。
わからないと言うのなら、では男性も女性に対して、「献身」すべきですね。
ちょっと生々しい話になりますが(すみません)、たとえば真夏の薄着の時期、女性の下着が透けて見えるから、重ね着してほしい、と男性は思うかもしれません。では、男性の股間が目立たないように、厚着をしてほしい、と頼まれたらどうしますか。パンツやステテコを重ね着して、できるだけフラットに近づけようと努力できますか。
それとも「暑いから嫌だ」「気になるなら見なければいい」と言いますか。その台詞、そっくりそのままお返ししますけどね(笑)。
視点を変えてみましょう。
たとえばあなたがお金に困っているとします。大変困窮しています。
で、礼拝に来てみると、前の人のカバンから財布が飛び出していて、しかも札束が見えています。近くには誰もいません。前の人は礼拝に集中していて、あなたがそこにいるのにも気付いていません。今手を伸ばせば、誰にも気付かれることなく、札束を入手できるでしょう。
さてどうしますか。
この場合、財布を無防備に晒している人が悪いのでしょうか。それとも盗んでしまおうと考える方が悪いのでしょうか。どう考えたって後者が悪いですよね。
では、こう言うのですか。
「財布が見えていると盗みたくなりますから、見えないようにして下さい」
馬鹿なの?(笑)
でも女性に対しては、そういう馬鹿なことを平気で言っているわけです。
クリスチャン学生を集めたキャンプでの話です。消灯時間をとっくに過ぎても騒いでいる男子がいたので、注意しました。みんなもう寝てるんだから静かにしなさい、と。
するとこんな答えが返ってきました。
「いつも午前3時くらいに寝るんで、こんな時間じゃ全然寝れないんス(ヘラヘラ)」
張り倒してやりたくなりましたね。しませんでしたけど(笑)。
結局自分の都合だけなのです。みんな自分に合わせろ、というわけですね。
それがただのワガママだと、彼がいつか気づいてくれればいいのですが。
☆ ☆ ☆
「ガソリンタンクを抱えて大変なんだ」という台詞は、私に言わせれば「悲劇のヒーロー気取り」みたいなものです。難しく言うと「自己憐憫」ですね。自分はこれだけ大変なんだ、かわいそうなんだ、苦労してるんだ、だから女性たちの服装を制限する権利があるんだ、みたいな。
でもそこまで女性の服装が気になるなら、いっそイスラム教に改宗したらいかがでしょう。女性の服装がこれ以上ないくらい制限されていますから、居心地はいいと思いますよ。同じ一神教だし。
ん? そういう問題じゃない? それは困りましたね(笑)。
fuminaruさん、記事をありがとうございます。
返信削除私はクリスチャンホームで無知で無垢だった中学生の時初めて痴漢に遭い、心底ぞっとして恐怖を味わいましたし
ただ生きているだけでこんな一方的に性的な対象にされることに驚き、侮辱と怒りと恐怖を感じました。
人間を人間として見るのではなく、「性的な対称」にされる事は、人としての尊厳を傷つけます。
私は世の中で女性がどんな扱いをされるかは中学生以来、身に染みて理解していましたが
最も女性として生まれた事を否定していた時期は、教会で熱心に奉仕をしていた時期でした。
牧師は「献身の三大誘惑は、金、権力、女」
と言ってましたし、
私は服装に気を付け、
言葉使いを女らしくなくしてみたり
献身者には話しかけないようにしてましたよ。
誘惑にならないように…。
誘惑って何ですかね?私は誘惑してないんですけど!
教会は、神様はありのままのあなたを愛してるなんて言っていましたが、
私は私を否定してましたよ。女性として生きる私を。
今は色々と学んで開放されてきました。
服装は露出しないように等、ある程度気を付けてますが
私が最も痴漢に遭った時期は、制服姿の高校時代ですし
大人になってからはお葬式の喪服を着ていた時に痴漢に遭ったので、
何が男性にとって誘惑になるかは女性の理解の範疇を超えるように思います。
あまり女性にばかり要求しないでほしい、というのが本音です。
Unknown様
削除コメントありがとうございます。
私は #MeToo 運動や伊藤詩織さんの告発の頃から、日本の女性の性被害の深刻さについて知るようになりました。恥ずかしながら、それまでほとんど無頓着でした。しかし今、性被害に限らない日本女性の「生きづらさ」を少しは認識するようになり、これは大変な問題だと思うに至りました。ほとんど日常化している痴漢などの性犯罪に、女性の皆さんはどれほど恐れ、苦しんでおられるでしょうか。男性として、本当に申し訳なく思います。
クリスチャン女性の服装については、私の教会も「露出禁止」「慎ましい身なりを」というのが標準でした。だから私自身も自然とそういう感覚が身についてしまっていましたね。でも教会を離れた今、「なぜ女性だけがああも厳しく制限されなければならないのだろうか」と気づくことができました。
本当に、女性にばかり要求するのはおかしな話です。
女性であることを否定しなければ生きて行けない、女性らしい言葉遣いを捨てなければならない、というのは本当に悲しいことです。
Unknown様が今は少しは解放されてきたとのこと、嬉しく思います。
これから、女性の権利が少しでも回復していき、女性がより生きやすい社会に変化して行けるように、私も自分に何ができるだろうかと模索していくつもりです。
勇気をもってコメントして下さり、ありがとうございました。
大笑いですよね
返信削除女性の服装をそのようにもっともらしくチクチクつつきまわすのは
男性の側が自分自身をコントロールできない
「オシメ」が必要な状態だと公言しているに等しい
ほんとうに「自由」な人だったら、プール礼拝(夢のある話だぁ)なんか
やったとしても、過ちを犯すことはないでしょう
肉が欲情を覚えても、その欲情に振り回されることはないでしょう
私が言いたいのは、勃起はするだろうがぶち込んだりはしないぞ
ということです
要するに紳士諸君は自分が勃起しているのを見られたくない
勃起したら(しているのを見られたら)負けだと思っている
男子諸君は絶えず勃起する自分自身と一生付き合っていかなきゃならないんですよ
匿名様
削除コメントありがとうございます。
男性視点の正直なコメントかと思います。
おっしゃる通り、男性は自分自身をコントロールする術を学んでから社会に出るべきですね。そういう教育が一切ないのも問題かもしれません。
近いうちに同じトピックで、今度は男性目線から書いてみようかなと考えているところです。